2012年 ルーマニア制作
第65回カンヌ国際映画祭
コンペティション部門 脚本賞・主演女優賞受賞作品
2005年
ルーマニアで〝悪魔祓い”と称して、実際に起きた物語を映画化している。
ルーマニア正教会修道院は丘の上の立つ。
入口には『異教徒は立ち入り禁止』と書かれている。
ヴォイキツァは修道院で暮らす尼僧だった。
孤児院時代からの親友だったアリーナを駅で出迎えた。
アリーナはドイツで働いていたが、一人では暮らせないとヴォイキツァを迎えにきた。
二人で暮らそうと言う。
修道院は電気も来てない。
お金がなくて描きかけの壁画がある。
それでも院長はお金は『悪魔の目』だと言う。
アリーナはひとまず修道院に暮らすことになるが、ヴォイキツァから目が離せない。
そんなアリーナにヴォイキツァは、『今でも愛しているが、自分は変わった。
修道院の生活は心を静かにする』と伝え、修道院を離れる気はないことを告げる。
その言葉を聞いたアリーナは、修道院の井戸に身を投げて自殺しようとする。
尼僧たちはアリーナを助け、そのまま病院に入院させる。
幻聴や幻覚もあるアリーナに、医師は薬を処方するが、入院はできないことをと告げる。
そして、再びアリーナは修道院に暮らすことになる。
アリーナはどうにかしてヴォイキツァと暮らそうとする。
彼女はただ二人で居たいだけのなのだ。
院長は信仰心のない人はここに暮らせないと言う。
何度も一緒にここを出ようと繰り返すアリーナだが、ヴォイキツァは頑として拒否し、遂にアリーナは暴言を吐き暴れる。
そんなアリーナに尼僧たちは困り果てる。
また尼僧たちは、食堂で『悪魔付き』の話し。
アリーナは、一端は里親のもとに戻るが、ヴォイキツァがそばに居ないことが分かると、
彼女も再び修道院に戻る。
そして、院長や尼僧たちを罵り始め、閉じ込められた部屋に火を放つ。
如何にも手を焼いた尼僧長は、ヴォイキツァや院長と共に、〝悪魔祓い”の儀式をすることを提案する。
信仰の基に、祈りと共に行われたエクソシストは、一人の女性の命を奪う。
信じて疑わない尼僧や院長は、自分たちのしたことが殺人とは分からない。
ただ、命が消えたことに涙する。
そして、自分たちの善意を疑わない。
盲信にも近い信仰がここにある。
神が信仰心を試していると言う。
ただ恐ろしさが心に残る。
心の正しさと行動の不当さは、共存するのだと思うと、深いため息が出た。
それと共に自分自身を見つめる。
信じることの難しさと自分自身の虚偽を自分に問う。
(J)