村上 春樹 (むらかみ・はるき)
1949年、京都生まれ、早稲田大学文学部演劇科卒業。
79年『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞、82年『羊をめぐる冒険』で野間文学新人賞、85年『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で谷崎潤一郎賞、96年『ねじまき鳥クロニクル』で読売文学賞、99年『約束された場所で under ground 2』で桑原武夫学芸賞を受ける。
2006年フランツ・カフカ賞、フランク・オコナ―国際短編賞、07年、朝日賞、坪内逍遥大賞、09年、エルサレム賞、『IQ84』で毎日出版文化賞を受賞。
ほかに『ノルウェイの森』、『海辺のカフカ』、『神の子どもたちはみな踊る』、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』、『騎士団長殺し』、『猫を捨てる』、『一人称単数』、また『翻訳夜話』、『レイモンド・カーヴァ―全集』、『フレニ―とズーイ』、『ロング・グッドバイ』など多くの著作、翻訳がある。

ドライブ・マイ・カー
家福は、女性ドライバーが運転する車の助手席に座っていると、どうも落ち着かなくなる。
隣でハンドルを握っているのが女性であるという事実を彼が常に意識させられて、緊張することが多い。
15年の付き合いのある大場から専属の運転手に女性を紹介されたときもそうだったが、何せ信頼できる大場からの紹介なので彼の意見に従った。

彼女の名前は、渡利みさき。
みさきは、「マニュアル・シフトは好きです」と、菜食主義者がレタスは食べられるかと質問されたときのように冷ややかな声で言った。
大場の保証したとおり、彼女は優秀なドライバーだった。
アクセルやブレーキの踏み方も柔らかく注意深かった。
口数は少ない。
質問されない限り、口を開こうとはしなかった。

家福は、俳優だった。
みさきは、感情を表に出さない。
普段だったら誰かが側にいると、緊張して声に出して台詞の練習はできなかったが、みさきに関しては、その存在が気にならなかった。
みさきが運転手を務めるようになって以来、家福は妻のことを思い出すようになった。
妻もやはり女優で、彼より二つ年下の正統派の美人女優だった。
家福は、妻を愛していた。
しかし妻の方は時折、彼以外の男と寝ていた。
どうして彼女が他の男たちと寝なくてはならないのか、家福にはよく理解できなかった。
二人は結婚して以来、夫婦としてまた生活のパートナーとして良好な関係を保っていた。
周りの人々からも仲の良い理想的なカップルとして見られていた。
彼女は、ガンでなくなる前は激しい苦痛に苛まれた
死と闘っている妻に向かって、なぜ他の男たちと寝たのかという理由を聞くことはできなかった。
そんなある日、家福はみさきに妻のことを話し始める。

「女のいない男たち」は、『ドライブ・マイ・カー』をはじめ、6つの短編が収められている。
「イエスタデイ」「独立器官」「シェエラザード」など、女のいない男たちの物語である。
『ドライブ・マイ・カー』では、なぜ、妻は他の男と寝なくてはならなかったか。
その答えを探すために、自身の心の中へと踏み込んでいく物語である。

微妙で繊細な心の襞が、様々な言葉で語られる。
どこにでもような、そんな言葉が、微妙なニュアンスで心を語り、さり気ない悲しみや苦痛を表現する。
そんな作品だった。

(J)

「女のいない男たち」