柳 美里 (ゆう・みり)
1968年生まれ。
高校中退後、東由多加率いる「東京キッドブラザーズ」に入団。
役者、演出助手を経て、86年、演劇ユニット「青春五月党」を結成。
93年『魚の祭』で岸田國士戯曲賞を最年少で受賞。
97年『家族シネマ』で芥川賞を受賞。
著書に『フルハウス』(泉鏡花文学賞、野間文芸新人賞)『ゴールドラッシュ』(木山捷平文学賞)『命』『8月の果て』『雨と夢のあとで』『グッドバイ・ママ』『まちあわせ』『貧乏の神様』『ねこのおうち』『人生にはやらなくていいことがある』他多数。

1933年、天皇誕生日に生れた男は、貧乏な家に生まれた。
東京に出稼ぎに来たのは、昭和三十八年の暮れで、上野にパンダがやってきたのは、それから9年後だ。
小さい頃から、次々と生まれてくる弟や妹のために働いた。
東京の出稼ぎから、親や弟妹や妻や子どもらが待つ福島・相馬の矢沢村に帰るのは、盆暮れの2回だけだった。
滅多に帰らない父親に子どもたちは懐かず、甘えたりねだったりすることをしない浩一が、雲雀ケ原でヘリコプターに乗りたいと言ったが、あの頃の3千円は高額で、代わりに当時15円だった森永牛乳のアイスまんじゅうを買った。
洋子は、すぐに機嫌を直したが、浩一は父親に背を向けて泣き出し、しゃくりあげて、お金持ちの家の子どもを乗せて飛び立つヘリコプターを見上げて、掌で涙を拭っていた。

皇太子と同じ日に生れた浩一が、生まれた頃は貧乏の貪底だった。
おふくろと妻の節子は、家族の腹を満たすため、春先から秋口にかけて毎日野良仕事に出た。
冬になると、セーターを解いて、またその糸で家族のセーターを編んでいた。
まだ子どもだった弟の勝男や正男は、「父ちゃんも兄ちゃんも今いないんです」と借金取りに言っていた。
小さな子どもに嘘を吐かせなければならないなんて貧乏ほど罪なものはないと思った。

21歳で浩一は死んだ。
突然の死だった。
浩一は、東京の専門学校でレントゲン技師になるつもりだった。
浩一の学費や生活費が必要だった。
家族の食いぶちを家に入れるためにも出稼ぎ続けなければならなかった。
浩一が資格を取って、やれやれ少しは、生活が楽になると思っていた矢先のことだった。
男は、一人息子の死をどうしても受け入れることができなかった。

「帰る場所を失くしてしまったすべての人たち」
そんな男の物語だ。
上野は、東北出身者の出稼ぎ者が多いと聞く。
一度は、故郷に帰りながらも、また、上野に出てきて浮浪者になった一人の男は、過去に囚われながらも行く当てもなく上野を彷徨った。
読んでいると、胸が熱い思いで満ちる。
この思いは、悲しむだろうか、苦しみだろうか。
全米図書賞を受賞した作品でもあり、昭和・平成を生き抜いた男の話でもあった。

(J)

 

「JR上野駅公園口」