松本 清張
1909(明治42)年12月、福岡県小倉市(現・北九州市)に生れる。
53(昭和28)年、「或る『小倉日記』伝」で第28回芥川賞を受賞。
56年、それまで勤めていた朝日新聞広告部を退職し、作家生活に入る。
63年「日本の黒い霧」などの業績により日本ジャーナリスト会議賞受賞。
70年菊池寛賞、90年朝日賞受賞。
「点と線」「波の塔」「日本の黒い霧」「現代官僚論」「昭和史発掘」「古代史疑」「火の路」「霧の会議」「草の径」など多方面にわたる多くの著作があり、「松本清張全集」(Ⅰ期38巻、Ⅱ期18巻、Ⅲ期10巻、文芸春秋)に収められる。
92年8月死去。
第二次大戦後、日本は、アメリカ占領下にあった。
GHQと呼ばれる、マッカーサー元帥を中心とした占領軍の統治下で、さまざまな怪事件があった。
昭和24年7月、当時の初代国鉄総裁であった下山定則の死は、自殺説と他殺説とに別れ、結論の出ぬままである。
国鉄は、定員法により、大量の人員削減を前にしていた。
『誰を解雇するか』は、当然ながら下山にとっても、労使にとっても、頭の痛い苦痛な出来事であった。
事件後明らかになったことは、当日、下山総裁が身につけていたネクタイなどが見つからないことや、血の量が以上に少なかったことなど、不思議なことが多々あったという。
昭和27年4月9日、日航機定期旅客機「もく星」号遭難は、静岡県浜名湖西南16キロの海上で機体を発見し、全員が米軍巡視艇に助されたとの報道があったのち、様々な報道がなされ、後に全員の死亡が確認された。
昭和27年1月21日の午後七時半ごろ、札幌市南六条辺りに二台の自転車が走る。
突然、銃声が聞こえ、そのうちの一台が雪の上に倒れた。
もう一台の自転車は、そのまま300メートルほど進み、闇に消える。
倒れた自転車に乗っていて、拳銃で射殺されたのは、札幌市中央警察署の警備課長白鳥一雄だった。
通行人は少なかったが、少数の人が目撃していた。
後に、共産党員の活動家村上国治・村手広光らが犯人として捕らえられた。
が、彼らの所持していた拳銃などと白鳥警部が射殺された拳銃の玉とが照合しないなど、不可解なことが多くあった。
それ以外にも、「ラストヴォロフ事件」、また、第二次大戦時に多くの国民が、お国のためにと差し出したといわれるダイヤモンドなどの貴重品・宝石類などが、アメリカに密輸入されていた話とか、毒物を飲まされ殺された「帝銀事件」、「松川事件」、「レッド・パージ」、「三鷹事件」など、朝鮮戦争を経て、日本がアメリカの統治を受けなくなる昭和27年を経て、戦後10年間に起きた様々な事件を取材し、筆者自身の推測された意見として書かれた本である。
日本を統治していたGHQでは、内部での権力闘争があり、スパイ・二重スパイなどの暗躍がかなりあったと言われている。
また、上記のそれぞれに事件の背後には、調べれば調べるほど、その権力闘争が見えてくるという。
私はこのシリーズを書くのに、最初から反米的な意識で試みたのでは少しもない。また、当初から「占領軍の謀略」というコンパスを用いて、すべての事件を分割したものでもない。そういう印象になったのは、それぞれの事件を追及してみて、帰納的にそういう結果になったにすぎないのである。
本文-あとがきに代えて—より 抜粋
昭和という時代の、しかも戦後のアメリカ統治のもと、日本に起きた出来事への興味は、筆者に尽きせぬ思いや興味を抱かせるものだったのだろうか。
1974(昭和49)年に出版されたこの本は、裏の日本の歴史書なのだろうか。
興味の深い本であった。
(J)