奥田 英朗(おくだ・ひでお)
1959(昭和34)年、岐阜県生まれ。
プランナー、コピーライター、構成作家を経て、作家に。
2002年に『邪魔』で第4回大藪春彦賞、04年に『空中ブランコ』で第131回直木賞、07年に『家日和』で第20回柴田錬三郎賞受賞。
著書に『ウランバートルの森』『最悪』『東京物語』『マドンナ』『サウスバンド』『ララピポ』『ガール』など。
また、スポーツにも造詣が深く、『野球の国』『延長戦に入りました』『泳いで帰れ』などの作品

空中ブランコ
地上13メートルのジャンプ台に爪先立ちし、山下公平は軽く目を閉じ、深呼吸した。
手には撞木(しゅもく)。
実際は鉄棒だが、習わしでそう呼んでいる。
鐘を撞く木のことだ。
握りを確認し、目を見開いた。
前方の丸い紙幕を凝視する。
空中ブランコの出し物のひとつ、「紙破り飛行」に臨むのだ。
セカンドの春樹が、公平の肩に手を置きタイミングを計る。
「イチ、ニイ、サン」いつものように耳元でつぶやき、「ゴー!」と肩をたたいた。
ジャンプ台を蹴る。
風が全身に当たる。
空中に大きな弧を描きながら、両足を撞木にかける。
二度目のスイングで公平は宙に舞った。
頭から紙幕に突っ込む。
障子紙が音を立てて破れた。
目の前に、逆にぶら下がった屈強な男が現れる。
キャッチャーの内田だ。
目が合った。
えっと思う。
おれの手を見ろよ—。
本文 抜粋

空中ブランコ乗りの公平は、明るい受付やロビーを通り越して、薄暗く薬品の匂いが鼻につく伊良部総合病院神経科の地下一階に行く。
演技の後、内田を殴ったが、激しい自己嫌悪に襲われ、息苦しさすら覚えたのだ。
公演終了後、演技部部長の丹羽に呼ばれて、病院に行くことを進められた。
妻のエリは、「眠れる薬だけでももらって来ればいいじゃないの」と慰められた。

ドアをノックすると、「いらっしゃーい」と場違いの明るい声が聞こえた。
胸には、「医学博士・伊良部一郎」とあった。
「さあ、座って、座って」と着席をすると、いきなり肉感的な看護婦が太い注射器を突き刺す。
「痛てててて」、看護婦の胸の谷間がくっきりと見えているし、香水のいい香りもする。
ふと横を見ると、伊良部が、皮膚に刺さった箇所を上気させながら凝視していた。
東京の医療はこういうものなのか?
公平は空中ブランコ乗りでであることを告げると、伊良部は上気した顔で立ち上がり、「行こう、これから行こう」と白衣を脱ぎ棄てていた。
「…あのう、薬の方は…?」
(やっぱり、聞いてなかったんだ。)公平はため息をつき、夜うまく寝られないことや最近冷静さに掛けることを話す。
睡眠導入剤を処方してもらい、明日、サーカスへ往診で来ることを約束する。

翌日の午前9時に伊良部と看護婦は現れ、ビタミン注射をする。
そして、伊良部は、ここに来た本来の目的である空中ブランコのジャンプ台に乗り、躊躇なくスイングした。
その翌日も、またその次の日も、看護師が注射を打って、伊良部は飛んだ。
そしていつの間にか、伊良部は開演前の特別訓練性となっていった。
公平は、だんだん意地になっていった。
伊良部のお手本にと、公平はジャンプしたが、距離が全然足りない。
内田の差し出した手は、50センチも向こうにあった。頬を引きつらせながらネットから降りる。
メンツが丸潰れだ。
失敗したのだ。
丹羽と目が合うと、困ったような、憐れむようなうろたえた様子での視線を投げかけている。
公平は、新日本サーカスに入団して十年、ここ三年は、ファーストの位置を保っている。

伊良部の提案で、公平が飛んでいるときにビデオを撮って奴らの小細工の証拠をつかもうとした。
ビデオを撮ることを、エリは、目を吊り上げて拒絶した。
客観的事実が必要だと強引にエリにビデオカエラを押し付ける。
「知らないからね」と、エリは口をへの字に曲げる。
その撮られたビデオに写っていたのは、腰が引けてスイングのまったく揺れていない公平自身の姿だった。
内田が、キャッチャーになった頃から腰が引け始めて、無意識に仲間への拒絶反応が出ちゃったようだった。
内田たちの嫌がらせだと信じていた。
内田に対して、ひどいことをしてしまった。
内田に謝った。
そして、伊良部は本番での空中ブランコをして、宙に舞った。

人のせいだと信じた公平の不調は、事実を知ることで症状は軽減されることとなった。
思い込みとは不思議なもので、いろいろな症状を生み出す。
公平は、自身の周囲の人への態度や思いを見抜けず、それを症状として表現したようだ。
伊良部は、名医なのか、はたまた…。

読んで楽しい物語の代表のような作品群だ。
「空中ブランコ」以外に4作品収められているが、どれも読後はニコニコ顔の自分がいた。

(J)

「空中ブランコ」