浅田 次郎 あさだ・じろう
1951年東京都生まれ。
95年『地下鉄に乗って』で吉川英次文学新人賞。
97年『鉄道員』で直木賞、2006年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、06年『お腹召しませ』で中央公論文芸賞と柴田遼太郎賞、08年『中原の虹』で吉川英治文学賞、10年『終わらざる夏』で毎日出版文化賞をそれぞれ受賞。
15年に紫綬褒章を受章。
16年『帰郷』で大佛次郎章を受章。
著書に〈天切り松 闇がたり〉シリーズや『プリズンホテル』『蒼穹の昴』『シェエラザード』『憑神』『ま、いっか』『ハッピー・リタイアメント』『降霊会の夜』『一路』など多数。

ラブ・レター
高野吾郎は、裏ビデオ屋の雇われ店長だ。
この仕事は、リスクに応じて給料は高いし、パクられたところで一泊二日の罰金刑である。
歌舞伎町に二十年も飯を食って、酸いも甘いも知り尽くしている。
10日間の拘留をつけられて起訴猶予ということで釈放された。
四十になったら足を洗おうと思う。
わずか10日間でポルノ・ショップは、看板を変え、内装を変え、早くも営業を始めている。

吾郎は、保安課の刑事に捕まり、妻が死んだと聞かされた。
意味が分からぬ吾郎だったが、去年の夏に親しいやくざ者から頼まれて戸籍を貸した、出稼ぎ外国人のことに違いないと思い当たった。
その足で立ち寄った佐竹興業の社長から、書類を入れた封筒と葬式代などの手間賃とお務め代を合わせて100万を受け取った。
女房の名前は、康白蘭、結婚して高野白蘭となっている。
サトシと吾郎は、後始末のために千葉の千倉まで行く。
途中、書類の中に入っていた美しい白蘭の写真と彼女からの手紙を読んだ。
一度も会ったことのない女房からのラブレターだった。

千倉の警察署で必要な手続きは済ませた。
あまりにも簡単だった。
タクシーの乗り込んで、気分の悪い吾郎はサトシに言う。
「サツのやつ、どうして怪しまないんだよ。死んじまったからもう用はないねえのか」

亡くなった病院でアメリカ式の遺体保存されていた白蘭に会う。
美しい女だった。
これが自分の妻だと思ったとき、吾郎はたまらず冷え切った頬を抱いて慟哭した。
サトシは、恐る恐る吾郎の肩をゆすった。
「しっかりしてくださいよ。吾郎さん。どうしちゃったんですか」
「そりゃあ可哀そうだけど泣くことないじゃないの。困ったな、困ったな」
サトシが出て行くのと同時に、看護婦が簡易ベッドと毛布を持ってきてくれた。
手紙の文面が蘇ってきた。
ここはみんなやさしいです。組の人もお客さんもみんなやさしいです。海も山もきれいでやさしいです。謝謝。海の音きこえます。吾郎さんきこえますか。

焼場の小さな部屋で、坊主が立ったままの簡単な経を読んだ。
骨を拾った。
佐竹の指示を受けてからたった一日ですべてのけりはついてしまった。
帰りの電車の中で、病院から引き取った白蘭の荷物を開いた。
その中に折りたたまれた吾郎への手紙が入っていた。
その手紙の途中から吾郎は、声を上げて泣いていた。
自分の骨は、吾郎の家の墓に入れてほしいと書いてあった。
「帰ろう。白蘭。みんな待ってるから。」

「鉄道員」は、短編8作品が収められている。
上記の「ラブ・レター」もその作品の一つである。
8作品とも、読むと心があったかくなり、霊魂や人魂を信じられなくても、人の心根は人に伝わり、思いは放たれる、そんな作品が描かれている。
寒い冬にぴったりの作品集だった。

(J)

 

「鉄道員」