篠田 節子 (しのだ せつこ)
1955年東京生まれ。
90年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞し、デビュ―。
97年『ゴサインタン―神の座―』で山本周五郎賞、『女たちのジハード』で直木賞、2000年『仮想儀礼』で柴田錬三郎賞、11年『スターバト・マーテル』で芸術推奨文化科学大臣賞を受賞。
著書に『弥勒』『第4の神話』『インコは戻ってきたか』『ホーラー―死都―』『はぐれ猿は熱帯雨林の夢を見るか』『銀婚式』『ブラックボックス』『長女たち』『インドクリスタル』など多数。

ブンギ島は、周囲5キロメートル、伊豆諸島の神津島とほぼ同じくらいの面積を持つ。
インドネシア東部のパンダ海のほぼ中央にある火山島であるブンギ島は、400人ほどの人口だった。
オランダ統治時代はナツメグ栽培をしていたが、現在は遠い昔からの丸木舟で魚で生計を立てていた。
昨年の今頃、奇妙な病気が島内に流行し始めた。
体を反り返らせ痙攣する者、高熱に苦しみ、眼球は光りが眩しく、甘い香りが匂った。
半年後、ブンギ島の住人は死んでしまった。

埼玉県 昭川市は、平凡な郊外の町だった。
東京からの交通の便も良い。
昭川市の保健センターは、保健医療行政の中心的業務を行っているところだ。
管理部門は市役所内にあったが、三階建てのビルには、保健施設や夜間救急センターがあった。
看護師不足もあり、房代は5年前に看護師に復職した。
今日も、若い頃の二倍もの太さになった体を白衣に押し込み、胸ポケットに老眼鏡をつっこむ。
医者は医師会から輪番制の日替わりでやってくる。
内科医のペンライトに、最初に診察室に入った初老の男は、房代の目に違和感があるほど、目を閉じた。
「いい匂いがするなあ」とぼつりという男に、房代は首を傾げる。
いくらおしゃれ者でも、看護師はふつう香水はつけない。
「なんだろう、つんとくる甘い匂いだ」
この診察室に漂っているのは、消毒薬の匂いだけだ。
昨日来た30を少し過ぎた女も同じことを言っていた。
今考えれば奇妙な言葉だった。

1993年の四月半ば頃、昭川市の災いが舞い降りた。
高熱に浮かされ痙攣を起こし、倒れる人々が次々とあらわれた。
医師による診断名は、今の日本では、撲滅された日本脳炎だった。
なぜ今、日本脳炎なのか?
それに、奇妙なことに通常の医学書に書かれている日本脳炎と症状が違う。

飛び交うデマ、責任の回避、後手にまわる行政の対応、大学病院の圧力。
見えない解決の糸口を求めて、心ある人々がは、迫りくる恐怖や不安のなかで奔走する。

20年も前に書かれたこの本は、今の私たちの生活に重なり合い、その脆さ、心許なさを抉り出す。
どこかに解決策はある。
どこかに道はある。
そんな希望を抱かせてくれる一冊だった。

(J)

「夏の災厄」