篠田 節子 (しのだ・せつこ)
1955(昭和30)年、東京都生まれ。
東京学芸大学卒業後、八王子市役所に勤務。
90年「絹の変容」で小説すばる新人賞を受賞し、作家活動に入る。
以降、「神鳥」「聖域」「夏の災厄」など、緻密な取材に裏打ちされた力強さと、独特の耽美性をあわせ持つ作品を次々と発表。
97年「ゴサインタン―神の座―」で山本周五郎賞、「女たちのジハード」で直木賞、2009年「仮想儀礼」で柴田錬三郎賞、11年「スターバト・マーテル」で芸術推奨文部科学大臣賞、15年「インドクリスタル」で中央公論文芸論を受賞。
「弥勒」「純愛小説」「薄暮」「長女たち」「鏡の背面」など著書多数。

富岡康宏と最後に過ごした家族は、次女の碧だった。
その日、海釣りの土産とかでもらった季節外れのドンコを実家の持ち込んだのだった。
頼みの母は、長女敦子のところの双子が水疱瘡にかかったとかで、いなかった。
かわりに父が調理してくれた。
在職中は蕎麦を茹でることさえなかった父だったが、包丁研ぎと魚をさばくのだけはうまかった。
父が四国遍路に旅立ったのは、それから2,3日後だった。
その帰路、徳島からと京へと向かうフリーの中で、康宏は行方不明となった。
4日後、冬の海から、康宏は発見された。
62歳だった。

家族は、遺書はなかったが冬の海に身を下げたのだろうと警察から言われた。
警察の遺体安置所で、変わり果てた夫と対面した妻・美枝子は、悲しむどころか持って行き場のない怒りを碧にぶちまけ長女夫婦のいる栃木に帰ってしまった。
高度成長期の企業戦士として、専業主婦の母と共に過ごした。
確かに、康宏は、非難されて当然だった。
内助の功を果たした美枝子に、一度ならず二度も三度も不実をはたらいた。
もうしないと約束しながらも、裏切った。

康宏とその恋人の笹岡紘子との関係は40年以上にもわたった。
大学時代の学生運動に出会い、その後それぞれの人生を生きた。
紘子は、大学にとどまりながら、アカデミズムと闘った。
立場の違いからくる価値観や先入観から異なる生き方や認識のずれもありながらも、関係は続いた。
その紘子は、最後の赴任地である仙台で死んだ。
東日本大震災の起きた時だった。

四国での父の足跡を辿る碧と、康宏が綴る物語は、家族や男女の深遠な孤独でもあった。
分かり合えることの難しさと触れ合う喜びと、またそのことから感じる孤独もある。
色不異空 空不異色 色即是空 空即是空
魂の声が語り掛ける、そんな思いがする物語でもあった。

(J)

「冬の光」