清水 幾太郎 (1907年7月9日~1988年8月10日)
1931年東京大学文学部社会学科卒業
専攻は、社会学
著書には、『社会学講義』『現代思想上・下』『わが精神の放浪記Ⅰ、Ⅱ』『わが人生の断片上・下』
訳書には、E.H.カー『新しい社会』『歴史とは何か』
J.ティンベルヘン『新しい経済』
K.ボールディング『二十世紀の意味』
R.ハロッド『社会科学とは何か』ほか。
文章を書くのは難しい。
論文やリポートは、なかなかすらすらとは書けない。
書くことは、手ごわい作業である。
「いかに書くか」は、「いかに考えるべきか」を離れては存在しえない。
著者は、長年にわたる執筆経験から、文章構成の基本的なルールを興味深く語る。
「彼は大いに勉強したが、落第した。」という場合は、大いに勉強したという事実と、落第したという事実とが同時に指摘されている。「彼は大いに勉強したが、合格した。」という場合は、大いに勉強したという事実と、合格したという事実が同時に指摘されている。最初に実感としては、それぞれ二つの事実が「が」で結ばれて、そのまま表現されたのである。つまり、「が」は、こうした無規定的直接性をその通りに表現するのに役立つのである。
………………
無規定的直接性というのは、一種の抽象的な原始状態であって、それはやがて、「のに」や「にも拘らず」、「ので」や「ゆえに」を初めとして、多くの具体的関係がそこから成長し分化していく母胎である。しかし、この成長や分化は自然に行われるものではない。人間の精神が強く現実に踏み込んで、その力で現実を成長させ分化させるのである。人間の精神が受身の姿勢でいる間は、外部の事態にしろ、自分の気持ちにしろ、ただボンヤリと「が」で結ばれた諸部分から成り立っている。これらの諸部分の間に、「のに」や「にも拘らず」、「ので」「ゆえに」を嵌め込むのには、精神が能動的姿勢にならければ駄目である。
本文 抜粋
日本は、明治維新以降、多くの抽象的観念を外国から学んできた。
そして、そのらの観念は、漢字を基礎として用いて漢語に翻訳した。
漢字は、本来中国から輸入した言葉であった。
この中国からの言葉と観念を現す漢字とが、明治以降、奇妙な形で結合することになった。
この二つの輸入された言葉で、文章を書くことは、そうたやすいことではないようである。
日々、考えて書き直して、切磋琢磨しながら、人に分かりやすい文章を書くことができるようになるのだろう。
ロングセラーとのこの本は、1959年に出版されている。
昭和の時代に書かれているが、今読んでみても『成程』と思う部分が多々ある。
一読しても為になる本であった。
(J)