高 行健 ガオ・シンヂェン Gao Xingjian
小説家・劇作家・画家。
1940年、中国江南省生まれ。
62年、北京外国語学院フランス語科卒業。
文革中は山村で5年余りを過ごす。
70年代末、モダニズム小説の作家として登場。
のち演劇の分野に進出、脚光を浴びるが、不条理劇『バス停』(83年)で激しい批判にさらされた。
その後、絵画に活路を見出し、85年からヨーロッパ各地で個展が実現。
87年末出国、翌年からパリに逗留。
89年パリで天安門事件を知り、『逃亡』(90年)を執筆、祖国を捨て、政治逃亡者となる。
以降、中国では全作品が発禁。
97年、フランス国籍を取得。
本書『霊山』(90年)、『ある男の聖書』(99年)を中心とした文学活動で2000年ノーベル文学賞受賞。

一緒に河を渡ってくれるかい?
対岸に「霊山」と呼ばれる山があるんだ。
いろんな神秘を目にすることができるよ。
苦しみを忘れることも、解脱を得ることも可能だ。
本文 抜粋

おまえが乗った長距離バスは、都会でお払い箱になったポンコツ車だった。
路面はデコボコだらけで、12時間揺られて南方の山間の県城についた。
おまえ自身ここに来た理由をはっきりと説明できなかった。
たまたま汽車の中の向かい側に座っていた男が、霊山の話をしていた。
おまえは、逃れがたい好奇心に駆られ、自分が足を運んだ多くの名所から漏れているその場所のことを聞いた。
「尤水(ゆうすい)をさかのぼったところです」
すべてが原始のままで、原生林や野人がいるという。
鳥伊の町までやってきたおまえは、東屋の前で彼女に会った。
彼女は、この山間の土地の人が持ち合わせていない、姿、佇まい、虚ろな表情をしていた。
おまえは、自分の冷淡さが不満でもあった。
軟弱で、人を愛せない、行動する力がかけていた。
おまえは、彼女に言った、「一緒に河を渡ってくれるかい?」

私は、長旅に出る前、医者から肺癌の宣告をされた。
私は運命を信じないのと同様、奇跡を信じない。
念仏を唱える自分を想像することすら滑稽なことだと思っていた。
寺や廟で焼香し跪拝し、「南無阿弥陀仏」を唱えている老人を見るたび、憐れみを覚えた。
死刑の判決を待っているうちに、災難の前で、人間は取るに足りない存在だと無我の境地に達した。
私は、心の中で「南無阿弥陀仏」と唱えた。
15日後、窮地を脱した。
レントゲンでは、ガンは消えていた。
そして、私は旅に出た。

一人の人間の分身でもある『私とおまえ』は、旅をする。
あてもなく、心の赴くまま、旅をする。
「霊山」を求め、野人を求め、昔を求め、旅をする。

ノーベル賞作家であるガオ・シンヂェンの作品である。
小説の形を脱し、前後の文章に確かなつながりはない。
不条理とも思える人生という旅の中で、彼らは何を求めているのか。
そして行き着く先は、どこなのか。
興味深く読んだ。

(J)

「霊山」