北尾 吉孝 きたお・よしたか

1951年、兵庫県生まれ。
74年、慶應義塾大学経済学部卒業。同年、野村證券入社。
78年、英国ケンブリッジ大学経済学部卒業。
89年、ワッサースタイン・ペレラ・インターナショナル社(ロンドン)常務取締役。
91年、野村企業情報取締役。91年、野村証券事業法人三部長。
95年、孫正義氏の招聘によりソフトバンク入社、常務取締役に就任。
現在、ベンチャーキャピタルのSBIインベストメント、オンライン総合証券のSBIインベストメント、イー・トレード証券、住宅ローンのSBIモーゲージ等の革新的な事業会社を傘下に有し、金融、不動産、生活関連サービスなどの事業を幅広く展開する総合企業グループ、SBIホールディングス代表取締役CEO。
著書に『中国古典からもらった「不思議な力」』『進化し続ける経営』『Eファイナンスの挑戦Ⅰ』『Eファイナンスの挑戦Ⅱ』『人物をつくる』『不変の経営・成長の経営』などがある。

人は何のために働くのか―。
こう問われたら、何と答えるでしょうか。
よく「自己実現のため」と答える方がおられますが、私は、働くのは自己実現のためだとは解釈していません。
あるいは、生活の糧を得るために働くというふうにも思っていません。
私が「働く」ことに求めてきたのは、そこに生きがいを見つけることでした。
人はある程度の年齢になると職を持ち、それから以降の人生の大半を働いて過ごしていきます。
もしも働くことに幸福感が感じられなければ、「自分の人生とは一体なんなのか」という不安や疑問が一生ついて回るように思うのです。
その点で、仕事とは人生そのものと言ってもいいと私は思っています。
仕事に生きがいが見出せなければ、人生の意味がほとんどなくなるとさえ思います。
私の尊敬する経営者の一人である稲森和夫さんは、「働くことが人間性を深め、人格を高くする。働くことは人間を磨くこと、魂を磨くことだ」とおっしゃっています。
本文 抜粋

あなたは、また、人は何のために働くのか―。
こう問われたら、何と答える?
若いビジネスマンに伝えたいこと、若くなくても、何のために働くのかと考えている人に、筆者は自分なりの答えを伝えようとしている本である。

筆者の精神を形づくってきたものには、北尾家の祖先である江戸時代後期の儒学者、北尾墨香(ぼっこう)の存在が大きいという。
家系に儒学者がいることは、儒教の世界が身近にあったということだ。
また、筆者の祖父母にあたる人である北尾禹三郎は、大きな書店を経営していた。
そして、大阪一円の朝日新聞の販売権を持ち、父の精造の代には、洋書の輸入販売敵を営む。
その流れを汲む父は、幼稚園に上がる前から簡単な中国古典の言葉を日常会話に使い、子どもたちを古典の世界へと誘った。
幼くて意味など分からなかったらしいが、次第次第に自身の中へと染みついたという。
「蓄積の家には必ず余慶あり。積不善の家には必ず余殃(よおう)あり」(善行を施す家には必ず余分の恵みがある。また不善を施す家には必ず禍がある)が当時父から頻繁に聞いた言葉だそうだ。
「天知る、地知る、子知る、我れ知る、何ぞ知ることなしか謂うや」(誰も見ていないと思ってもそんなことはない。天が知ってるし、地の知ってる。お前も知ってるし、私も知っている。どうして知るものがないなどと言えるのか)などである。

また、母方の祖父は、高等小学校中退だが、苦労して独学で学び、三井物産に入社し、綿花部に所属する。
その綿花部が独立して東洋綿花になり、中国へ行き、中国語を習い、後に、東洋綿花(トーメン)の第五代社長となる。
この人からの影響も大きかったという。

筆者の精神を形作る古典思想などは、その後の人生での指針となり、生き様を形づくることとなる。
死なない人はいない、限りある命だからこそ愛惜の念を持って生きる。
「運」や「機」を味方につけて、適度な運動や趣味を持ち、絶えず現実的に前向き生きることを心がけているという。
社会を動かす絶えざる挑戦をしながら生きる人の、より良く生きるコツが書かれている本である。

(J)

 

 

「何のために働くのか」