木田 元 (きだ げん)
1928年生まれ。
海軍兵学校、山形農林専門学校を経て50年に東北大学文学部哲学科に入学。
同学部卒業後、同大学大学院哲学科・特別研究生課程に進学。
東北大学文学部助手を務めた後、中央大学文学部専任講師・助教授を経て、72年より同教授となる。
99年に定年退職後、同大学名誉教授に就任する。
『ハイデガーの思想』『ハイデガー『存在と時間』の構築』等々による既存のハイデガー解釈を一新すると共に、M・メルロ=ポンティ、E。フッサールなどの現代西洋哲学の主要著作を平易な日本語に翻訳した。
上記著書のほか、『現象学』『メルロ=ポンティの思想』『闇屋になりそこねた哲学者』『反哲学入門』など著書多数、訳本多数。

木田元は、満州で育ち、第二次大戦が終わって一年後、満州から引き揚げてきて山形県鶴岡に住んだ。
その頃、父はまだシベリアに抑留されており、生きているのか死んでいるのかも分からない状態だったという。
市役所の臨時雇やら小学校の代用教員などをして家族を養っていた。
兼業でしていた闇商売で一儲けし、また父も帰ってきて、彼は農林専門学校に入ったという。

農林専門学校時代の3年間、文学書ばかり読んで過ごした。
本のない時代だったが、古本屋や、農専の友人で、父親がドイツ文学者の三男坊の家には、本があふれていた。
その本を借りて読みまくった。
『今昔物語』『新古今』、芭蕉や西鶴、秋成などの江戸文学から近代文学。
アンドレ・ジッドやモーパッサン、フローベール、メリメ、ボードレールなどのフランス文学からモリエール全集、サルトル、ポー、マルロー、モーム、ヘミングウェイ、ゲーテ、トーマス・マンなどがある。
一番熱心に読んだのが、ロシア文学で、最後に読み始めたドストエフスキーに魅せられることになる。

ドストエフスキーの作品を一通り読み終え、評論などを読む。
そのうち、ドストエフスキー論の一つといった感じで、キルケゴールの『死に至る病』を読む。
19世紀中葉の同時期を生きた二人には、魂の同じ深身におりたっていたせいか、思想に深く通底することろがあった。
キルケゴールの思想の中核には、信仰の問題がある。
話がそこにいくと、どうしてもわからなくなる。
こんな風に絶望しうる人間の存在構造を解き明かしてくれる本を探し求めているうちに、ドイツの哲学者で『存在と時間』を書いたハイデガーを知る。
時間という視点から人間存在の分析をしているハイデガーは、自身が求めている本だと思い、読み進んで聞くこととなる。

権威主義的な校風が盛んだった時代に、木田元は、公平な姿勢で学生に接していたという。
また、哲学のもつ難しさを、平易な言葉へと書き直した彼は、より哲学を身近に感じることができるチャンスを人々に与えたのだろう。
この「木田元の最終講義」も、親しみを感じさせる文体でありながらも、学問に対する揺るぎない思いがあちこちに溢れている、頼もしく興味深い本だった。

(J)

木田元の最終講義 反哲学としての哲学