佐藤 寛 (さとう ひろし)
1946年東京都生まれ。
工学院大学建築学科卒。
一級建築士。
有限会社トーク(TA・OK)人材開発代表取締役。
企業人経験を経て、現在、人材活性化コンサルタントとして、東証一部上場企業から町の商店に至るまで、企業や団体を中心に研修や講演を実施している。
また、鉄舟禅会理事を務め、約35年にわたり、鉄舟の研究を続けている。
著書に『「あの人の部下になりたい」と言わせる人』など。

山岡鉄舟と言えば、剣と禅、そして書の達人を思い浮かべるだろう。
幕末から明治維新の時代を駆け抜けた人である。
筆者は、そんな山岡鉄舟の生き様に、自身のイメージや想像を加えて本書を執筆したという。
なにやら、かっこの良い山岡鉄舟が書かれている気配がする。
『男が男に惚れこむ。』そんな匂いのする本書である。
が、本書に描かれる彼は、江戸を混乱におとしめることなく、無血で江戸城を引き渡し、明治へと時代を進めた。
その背後には、彼の人柄があるのではないかと筆者は言う。

山岡鉄太郎は、徳川家旗本のおくら奉行で、石高六百万の小野朝右左衛門高富と、常陸の国鹿島新宮の神官である塚原石見の次女磯を父母の四男として生まれる。
天保七(一八三六)年、江戸本所のことである。
生まれたときには腹違いの兄姉が5人いたが、何故か『鉄太郎』と長男のような名前がつけられる。
母親の磯は、頭脳鋭く行動的な女性で、おっとりとした朝右左衛門をリードしていたようだ。
後妻であつた磯の最初の子どもは鉄太郎である。
その後、男子六人を生んでいる。
父母の亡き後、鉄太郎は幼い弟たちを残され、当時暮らしていた高山から江戸へと移る。
当時、鉄太郎は数え年で17歳だった。
極貧暮らしの中、剣を学び、周りからは「鬼鉄」とか「ボロ鉄」とか言われていたようだ。
その頃、世間では、各国からの開国を迫る声が大きくなっていた。
黒船の到来など、時代は刻一刻と変わろうとしていた。

いっかいの武士が、時代の大きな変化の中で、自分の信じることを実行する。
その生き様を人々を動かし、重要な揺るぎない人間関係を作っていくこととなる。
維新という、新しい時代へと導いた多くの武将や人々の中には、山岡鉄舟の功績もまた大きい。
それは、山岡鉄舟の求めた、彼自身の思想であり、哲学である。
そして、彼には、それらを貫く人間としての器量や、思想から来るであろう、芯のはっきりとしたその生き様があったのだろう。
大酒のみで、無類の女好きであったともいわれる彼の波乱にとんだ人生を、ほんの少しだけ、垣間見る本である。

(J)

 

「山岡鉄舟 幕末・維新の仕事人」