内田 樹 (うちだ たつる)
1950年東京生まれ。
東京大学文学部仏文科卒。
東京都立大学大学院博士課程中退。
神戸女学院大学文学部教授。
専門はフランス現代思想、映画論、武道論。
著書に『ためらいの倫理学』『「おじさん」的思考』『下流志向』『街場の中国論』『村上春樹にご用心』『寝ながら学べる構造主義』『知に働けば蔵が建つ』『子どもは判ってくれない』『私の身体は頭がいい』『私家版・ユダヤ文化論』で第6回小林秀雄賞を受賞。
社会のあらゆる場面で、〈孤立化〉が進んでいる。
高度成長後、核家族化が進み、家事も軽減され、豊かとも思われる社会ができた。
その中で、人々の孤立化が進み、今どう生きていくべきなのかと問いかけられている。
『ひとりでは生きられないのも芸のうち』という本のタイトルは、どういう意味を含んでいるのだろうか。
この本は、「これまであまり言われていないこと」で「あまりに非常識なこと」や「あまりに常識的なこと」に触れている。
例えば、「火の点いたストーブには素手で触れないほうがいいよ」とか、「空腹時には栄養補給をしなければならない」とか外からあれこれ指示しなくても、本人が進んですると思われていた。
でも、最近の世の中では、この(非)常識的すぎることを忘れている人が随分いるようだという。
根拠のない楽観主義や、批判すれば何とかなるとか思っている。
批判される「公的な人」「常識的な人」が、社会成員の十五%いて、自分の仕事として批判を受けとめシステムを支えることが必要だというがそれがうまく動かない現状がある。
非婚・少子化、働き方について、メディアの語り口、グローバル化時代でのひずみ、共同体の作法、死や愛についてなど、様々なテーマを語る。
2006年、東京大学で行われた学生生活実態調査の報告があった。
学部学生3534人(回答者は1367人)対象のアンケートで「自分はニートやフリーターになるように思う」と答えた学生が7.4%。
「ニートにはならないが、フリーターになるかもしれない」と答えた学生が20.9%。
あわせて28.3%の東大生がいずれニートかフリーターになる可能性を感じていた。
東大生が就職にきわめて有利なポジションにいることはよく理解されていることである。
だから、彼らがそれでも「ニートかフリーターになるかもしれない」と思っているのは、就職できないからではない。
新卒でちゃんと一流企業や官庁に就職はするのだろう。
オフィスではきちんとスーツを着て通勤し、きびきびと働くだろう。
でも、ある日、不意に仕事に行く気がしなくなり、通勤途中に逆方向の電車に乗り、「海を見に行く」ことになったり、朝だるくて起きられず、そのままずるずると休み続けているうちに会社に行く気がなくなってしまう自分の姿が妙にリアルに想像されるからだろうか。
だから、「ニートやフリーターになるかもしれない」という不安を彼らは払拭できないのではないだろうか。
「働きたいのに」なかなか仕事に就けない若者は「自分に向いた仕事」という条件に呪縛されているのではないかという。
適性にぴたりと合致し、潜在的才能を遺憾なく発揮でき、クリエイティブな成果を上げ、久しきにわたって潤沢な年収をもたらすような仕事に出会う。
だが、確率は限りなく低いという。
99%の就労者は「自分に向かない仕事、適性や能力を生かせない仕事、創造性のない仕事、見栄えの悪い仕事、賃金の安い仕事」のどれか、またはすべての条件を満たす仕事を選択しなければならない。
だから、彼らがある日ふと、「もう会社に行きたくないな」と思ってしまうのは当たり前だという。
人間の適性や能力や召命は、労働する人間が「主観的にそうありたい」と願うことや「そうあるはずだ」と信じることによってではなく、いかなる「実存する客観的な所産」を生み出したかによって事後的に決定されるという。
本書は、ウィットにとんだ語り口であり、読みようによっては、辛口と言える語り口でもある。
痛快な語りは、時に心に痛く、ぐっと響くかもしれない。
が、武道家でもあり、大学での経験も兼ねて、人の心に届く語りは心地よい。
タイトルの「ひとりでは生きられないのも芸のうち」は、何とも絶妙だ。
確かに、“一人では生きられないのが現代の社会なのかもしれない”、 と本書を読んで、妙に納得した。
(J)