岡田 利規 Okada Toshiki
1973(昭和48)年横浜生れ。
’97(平成9)年にソロ・ユニット「チェルフィッチェ」を旗揚げ。
2005年「三月の5日間」で第49回岸田國士戯曲賞を受賞。
’07年、同作を小説化し、初めてのオリジナル小説「わたしの場所の複数」とともに収録した『わたしたちに許された特別な時間の終わり』が初小説集となる。

わたしの場所の複数

家賃の安い所に引っ越してきた私と夫は、引っ越しの下見のときに古くなってムラに変色しきった畳の上に、かなり重い思いをしながら、カーペットを敷いた。
ビニールでできているそのカーペットは、ひどく湿度の高い雨の日などには、つるつると滑るくらいにまで濡れていることもある。

今日は普通の金曜日だった。
布団の上で考え事をしながら横向きになって寝そべっている私は、バイトを休みにすることに決めている。
連絡するのにはまだ時間が早い。
時間が早すぎると、バイト先に誰もいないからである。

頭の中ではさっきから同じ音楽が繰り替えされている。
ゴミ収集車のメロディーが、外から聞こえてきたが、まだ間に合うだろうと思いながら、体を起こす気なんか、あるわけがなかった。

赤い携帯には未読のメールが二通あった。
1通は母親からだった。
ずっと前に実家に寄ったときに忘れたカーディガンを取りに来ないかと言うメールだった。
母親がそのことを言って来るのは、確か3度目だった。
もしかしたら、4度目かも知れない。

もう1通のメールは、友人のひとりがぬいぐるみを洗って干している様子を、写真で送ってきたものだった。
バイトの仕事の始まる時間まで1時間以上あった。
ちょうど今は季節の変わり目なので、風邪が流行っているから、口実はそれを使おうとわたしは思った。

携帯の画面でブログを探している。
ひょっとしたら、夫がブログを書いているかもしれない。
何度もその存在を探し出そうとしてみているのだ。

夫は、私になじられているあいだ、そしてそのあとも、左の二の腕のところを、なにか痒そうに掻いていた。
夫からしたら、ただ唐突なことだったかもしれない。
夫は、私が切れたりしたときは、きまって一番理想的な見栄えのいい非現実的な解決方法を、咄嗟に口にするのだった。

疲れ切ったフリーター夫婦に忍び寄る崩壊の予兆と無力感を、妻の饒舌な内面の語りによって描く作品。
じとっとした部屋の中で、バイトを休み、独りで夫の書いているかもしれないブログをさがすわたしは、倦怠感とも呼べる雰囲気のなかでの、その心の情景を描く。
独り芝居を読んでいるような気分になる作品だ。
言葉に沿って情景が浮かび上がる、そんな雰囲気の作品でもあった。

(J)

 

「わたしたちに許された特別な時間の終わり」