吉本 隆明 (よしもと たかあき)
1924年東京生まれ。
詩人、評論家。
東京工業大学卒業。
戦争体験の意味を自らに問いつめ、’50年代、文学者の戦争責任論:転向論で論壇に登場。
’60年安保闘争を経て、’61年「試行」を創刊。
’80年代からは、消費社会・高度資本主義の分析に向かう。
主な著書に『言語にとって美とは何か』『共同幻想論』『心的現象論序説』『自立の思想的拠点』『ハイ・イメージ論』等。
詩集に『固有時との対話』『転位のための十編』等がある。

幸福や不幸の体験というものは、ある一方からのみ見ていると見誤ることがよくあります。
太宰治は、不幸の体験があったからこそ、感性を磨き、すばらしい作品を残すことができたのです。
もし、みんなが両親の愛を一身に受けるような恵まれた家庭で育つとしたら、はたして太宰治のような人間の普遍性を鋭くつくような作家になろうと思う人は出てくるでしょうか。
現在の日本についても、同じように考えることができます。
たしかに、いまの日本は割合に明るい。
でも、明るいからよくて、暗いからだめだという善悪二元論で考えると、物事の本質を見誤る恐れがあります。
無意識のうちに答えが決っている価値判断は、無意識のうちに人の心を強制します。
明るいからいい、暗いからだめだという単純な価値判断をもっていると、そう思えない自分、そうではない自分を追いつめる結果になってしまうからです。
人間は閉じられた環境や空間の中では、教養も知性もある人でさえ、理性的な判断ができにくくなるという特性のようなものがあります。
それは僕にもよくわかります。
ある局面になるとものすごく愚かなことができるというのが人間なのです。
善悪二つのモノサシしか持っていないと、人間は非常に生きづらさを感じるものなのです。
本文 抜粋

小説や詩を読むことで心が豊かになると妄信的に信じている人がいたら、ちょっと危いと思います。
世の中の「当たり前」ほど、あてにならないものはありません。
本文 抜粋

「考えること」に真剣に向き合ってきた筆者の、考え抜いた思考の果てに生まれた語りが、この本にはある。
賛成・反対、自分とは考え方が違うなどは、ちょっと脇に置いて、取り合えず読んでみた。
深遠かつ独自の思考は、戦中生れの作者の、戦争体験をも含んだその時代から生み出されたものだろう。

「真贋」。
何が本物か、何が偽物かは、その人自身がどう生きたか、どう生きようとしたかによって別々の意味を持つものなのだろうか。

僕の文芸評論のやり方は、先ほど述べたとおりいたってシンプルです。
大体においてシンプルな基準を自分の中に持っていると、第1の利点として、まわりにふりまわされることが少なくなります。
まわりにふりまわされるという点において、一番神経質になるのは噂話や評判の類です。
僕は人の噂や評判は、まずそれが真実かどうか確かめるようにしています。
そして、そこで大切なのは、自分を一般社会の中で暮らしている普通の人間だという風に位置づけることだと思うのです。
本文 抜粋

随所にちりばめられている、 吉本 隆明 さんの言葉の「真贋」を、一度味わってみるのも面白いかもしれない。

(J)

「真贋」