古市 憲寿 ふるいち のりとし
1985年東京都生まれ。
東京大学院総合文化研究所博士課程。
慶応義塾大学SFC研究所訪問研究員(上席)
有限会社ゼント執行役。
専攻は社会学。
大学院で若者とコミュニティについて研究を進めるかたわら、有限会社でマーケティング、IT戦略立案等関わる。
著書に『希望難民ご一行様:ピースボートと「承認の共同体」幻想』『遠足型消費時代:なぜ妻はコストコに行きたがるのか?』がある。
W杯の深夜に渋谷に集り騒ぐ若者たちや、ネット右翼の主催する排外デモに集まる若者たち。
震災時にボランティアなどに立ち上がる若者たち。
筆者が、そんな「幸福度」の高い若者の姿を、現場に入って調査する。
格差社会が報じられ、「不幸」なはずの彼ら若者たちは、2010年で20才代男子の65.9%が現在の生活に満足しているという。
今までの若者論とは一味違う、そんな取材を中心とした「若者論」だ。
1960年代後半から1970年代にかけて「若者論」ブームが起きた。
日本の若者は、公共心が薄く、社会に強い不満を持ち、自立心に乏しく、仕事に生き甲斐を感じていない。
大人になるためのステップである「モラトリアム」という機能が消失し、大人になれない若者が増えたと、当時は言われていたらしい。
「一億総中流」といわれ、戦争を知らず、団塊世代と呼ばれ、バブル時代を生きた若者たちだ。
1970年ごろには、メディアとの関わりでいろいろな若者論が登場する。
「カプセル人間」という孤立してそれぞれのカプセルに閉じこもるイメージなのだ。
情報化社会が価値の多元化を促進し、イデオロギーの解体を招いたそうだ。
戦後、活発に論争の対象となった「若者」たちだが、現在でも、似たようなことが言われている。
2000年から2010年頃の若者の特徴として、本書では格差社会を取り上げる。
未来に希望が少ない世代だが、社会貢献ブームで、ボランティア活動などにも積極的だと思わがち。
しかし、意識の上では確かに社会貢献思考的だが、実際には数字の上ではさほど増えてはいないのだという。
地元化しているという調査内もあるようだが、現実的な感じでは、これもさほどでもないという。
だが、長期的に見たら地元化したいらしい。
もう一つの特徴は、「仲間が欲しい」である。
コンサマリー化する人が多い。
コンサマリーとは自己充足的という意味だそうだ。
何らかの目的達成のために邁進するのではなく、仲間とのんびりと自分の生活を楽しむ生き方だ。
時代時代ごとに、様々な論議をかもし出す「若者論」だが、今も昔も、ある意味よく似た論議が繰り広げられている。
ラジオ、テレビ、ゲーム、パソコン、携帯、スマートフォンなど、時代に変化につれて現れる様々なメディア媒体と共にあるかのように見える時代の変化は、本当に若者の意識の変化とシンクロするのだろうか。
昔々の時代から、新しい者に対するわからなさは存在し、それが、時代を代表するモノに例えられる。
そんな風に、この本を読んだ。
(J)