村田 沙耶香 (むらた・さやか)
1979年千葉県生まれ。
小説家。
玉川大学文学部芸術家文化コース卒業。
2003年、「授乳」で第46回群像新人文学賞優秀作受賞。
’09年、『ギンイロノウタ』で第31回野間文芸新人賞受賞。
13年、『しろいろの街の、その骨の体温』で第26回三島由紀夫賞受賞。
16年、「コンビニ人間」で第155回芥川賞受賞。
他の著書に『マウス』『殺人出産』『消滅世界』「地球星人』など。

例えば幼稚園のころ、公園で小鳥が死んでいたことがある。
どこかで飼われていたと思われる、青い綺麗な小鳥だった。
ぐにゃりと首を曲げて目を閉じている小鳥を囲んで、他の子供たちは泣いていた。
「どうしようか・・・・・・?」一人の女の子が言うのと同時に、私は素早く小鳥を掌の上に乗せて、ベンチで雑談している母の所へ持って行った。
「どうしたの、恵子?ああ、小鳥さん・・・・・・!どこから飛んできたんだろう・・・・・・かわいそうだね。お墓作ってあげようか」
私の頭を撫ぜて優しく言った母に、私は「これ、食べよう」と言った。
「お父さん、焼き鳥好きだから、今日、これを焼いて食べよう」
良く聞こえなかったのだろうかと、はっきりとした発音で繰り返すと、母はぎょっとし、隣にいた他の子のお母さんも驚いたのか、目と鼻の穴と口が一斉にがばりと開いた。
変な顔だったので笑いそうになったが、その人がわたしの手元を凝視しているのを見て、そうか、一羽じゃ足りないなと思った。
「もっととってきたほうがいい?」
近くで二、三羽並んで歩いている雀にちらりと視線をやると、やっと我に返った母が、「恵子!」ととがめるような声で、必死に叫んだ。
「小鳥さんはね、お墓をつくって埋めてあげよう。ほら、皆も泣いているよ。
お友達が死んじゃって寂しいね。
ね、かわいそうでしょう?」
「なんで、せっかく死んでるのに」私の疑問に、母は絶句した。
私は、父と母とまだ小さい妹が、喜んで小鳥を食べていることろしか想像できなかった。
父は焼き鳥が好きだし、私と妹は唐揚げが大好きだ。
公園にはいっぱいいるからたくさんとってかえればいいのに、何で食べないで埋めてしまうのか、私にはわからなかかった。
本文 抜粋

こういうことが、何度もあった。
小学校から何度か母への呼び出しもあった。
でも何故なのか、私には分からなかった。
「どうすれば『治る』のかしらね」
母と父が相談して遠くのカウンセリングに連れて行かれた。
「とにかく愛情を注いで、ゆっくり見守りましょう」と毒にも薬にもならないことを言われ、両親はそれでも懸命に私を大切に愛して育てた。
高校を卒業して大学生になっても、私は変わらなかった。
基本的には休み時間は一人で過ごし、プライベートな会話はほとんどしなかった。
「治らなくては」と思いながら、どんどん大人になっていった。

1998年5月1日、大学一年生の私は、ビルだけの世界のようなオフィス街で、スマイルマート日色町駅前店がオープンしスタッフ募集ののポスターを見つける。
真っ白なオフィスビルの一階が水槽のようになっているのを発見した。
家からの仕送りは十分にあったが、アルバイトには興味があった。

アルバイトに採用された私は、「店員」の研修を受ける。
表情と挨拶、「お客様」の目を見て微笑んで一礼する、などである。
オープニングでは、研修どおりに対応する。
「いらっしゃいませ」、声をはりあげて、会釈し、かごを受け取る。
そのとき、初めて、世界の部品になることができたのだった。
世界の正常な部品としてのこの私が、確かに誕生したのだった。
そして、いまもコンビニで働いている。

古倉恵子、コンビニバイト歴18年。
彼氏なしの36歳。
日々コンビニ食を食べ、夢の中でもレジを打ち、「店員」でいるときのみ、世界の歯車になれる。
そんな折、店に、アルバイトで新いりの男性・白羽が雇われる。
そして、恵子の生活が変化していく。

「普通」とは何か。
マニュアル通りの仕事を真面目にこなし、まわりの人に合わせ、喋る方の口調を真似て、「普通」になろうとした恵子は、果たして普通になったのだろうか。
「普通圧力」の社会に「不思議がる部分を、自分の人生から消去していく」。
その生き方は、果たして恵子が考えたように、普通なのだろうか。

文學的な質の高さを持ち、なおかつ、色々な事柄を考えさせられるこの作品は、世界で翻訳されており、評判の作品でもある。
社会の多様性に向かうと言いながら、現実はどうなのか。
そんな思いを抱く作品でもあった。

(J)

「コンビニ人間」