ゲシュタルト療法 Gestalt therapy
ゲシュタルト療法はパールズ(Perls,F.S.)などによって創始された。
人間を、心身においてホメオスタティックな自己調節機能をもつ全体的存在と捉える。全体性が妨害されるのは外界や内界(欲求や感情等)に対するコンタクト(接触)の回避がうまく機能せず未完結の経験が多くなりすぎるためである。神経症の要因は基本的には取り入れ、投影、融合、反転etc.の自他境界障害であるとする。気づきの技法(エンプティチェアー、シャトル技法、心理劇等)によって「今・ここ」の経験に着目させゲシュタルトが完結することを目指す。ゲシュタルトの言葉
- 「ホット・シート」
古典的には椅子を用いて、それらの上にイメージの中の他人や自分を座らせて対話する方法。未完の経験の完結・自らの欲求、感情に気づくためのもの。
ex)「この椅子の上に父親が座っているとしたら、あなたとしては、どんなことを話しかけますか?」 - ファンタジー・トリップ
ファンタジーの世界で、例えば老賢者に会って知恵を授かってくる。自己の潜在能力等を発見する目的で用いる。 - 夢のワーク
夢を「今、ここ」において再現し、登場人物や物になる。自らの夢の中に投影された自己の「生き様」に気づく。 - 実験
例えば、肯定的な返事をしながら、内心ではいつも欲求不満に陥ってる人が、セラピーの中で実験的に「No]を言ってみる。 - ボディワーク
例えば、肩がこってしかたがない人の場合、その肩になったつもりで言語で表現してみる。肩になってみて、どんな感じがするか、その感じを可能なら誰に対して表現したいかなど、身体を通して気づきを引き起こす。
ゲシュタルト理論
そもそも〈ゲシュタルト〉という語が用いられるのは何故か?この 《奇妙な》響きをもつ語の意味は何か?世の風潮に逆らって、《英語混じりのフランス語》を使わない理由は?
実は、〈ゲシュタルト〉はドイツ語で、普通名詞として使われるとこには語頭は大文字になる。《形態》と訳されることも多いが(たとえば、Gestalt-Theorieは、「形態の理論」)、しかし本当のところは、もっと複雑な意味内容をもつ語なので、ぴったりと合う訳語は見当たらない。だから、フランス語だけでなく、英語、ロシア語、日本語でも〈ゲシュタルト〉をそのまま借用してる。
動詞〈ゲシュタルテン〉の意味は、「形成する、意味ある構造を与える」。以上から、ゲシュタルトとは、われわれにとって〈きちんとした意味のある〉構造をそなえた形態ということになる。たとえば、同じテーブルでも、書物や紙片が載っているときと、テーブルクロスと料理が載っているときとでは、意味合いが違ってくる(すなわち、その全体的な〈ゲシュタルト〉が変化する)。
実は、われわれが出生後に最初に識別する大切な《形態》は、典型的な〈ゲシュタルト〉の1つで、それは母親の顔にほかならない。新生児は未だその細かな特徴まではつかめていないにしても、全体の形態は彼にとって《意味を持っている》。
われわれの知覚は、いくつかの法則に従っている。だから、一つの全体(先の例では、人間の顔)は、知覚された刺激の単なる総和には還元できない。同様に、水は酸素と水素とは別のものである。1つの交響曲は、楽音の連なりとは違う何かである。要するに、「全体は部分とは異なる」ことがわかる。
また、次の点も強調しておこう。「全体の中の部分は、全体から切り離されたり、別の全体の中に加えられたりした場合には、別のものになる。」というのも、上記の場合には、部分が占める場とそれぞれの機能から、それらに固有な性質が引き出されているからだ。したがって、ゲームの最中の叫び声と、人気のない路地でのそれとでは、まったく意味するところが異なる。シャワーを浴びて素裸でいるのと、シャンゼリゼの通りを一糸纏わずに散歩するのとでは、到底同じ意味合いにはならない。