「人生がうまくいく哲学的思考術」  白取 晴彦

著者紹介
青森市生まれ。
ベルリン自由大学で哲学・宗教・文学を学ぶ。
既成概念にとらわれないで、哲学と宗教に関する解説書の明快さには定評がある。
主な著書に『超訳ニーチェの言葉』『頭がよくなる思考術』『独学術』『この一冊で「聖書」がわかる』などがある。

第3部 ニーチェが教える 力強い生き方

24 相手を尊重する

老婆が重たそうな荷物を棚に上げられずにいる。自分が代わりに荷物を棚に上げる。小さな人助けだ。このとき、わたしたちは老婆がかわいそうだから手伝ってあげるのだろうか。非力に見えるから力を貸すのだろうか。

ニーチェは、相手がかわいそうだから助けるという理由がそこにあるのなら、それは相手を侮辱しているのと同じだ、という。誰かに助けの手をのべるならば、自分のあり余る力ゆえにそうせよ、と。
もし同情心から助けるのならば、それは勝手な妄想を事実とすることだし、あるいはまた相手を自分よりも低いと見たことになるからだ。それこそ、人助けという名目で人を自分より低く見ていることになる。

苦しみも困難もその人のものだ

誰かが苦しんでいること、困っていることは、それ自体が悪いことだろうか。人の苦しみや困難を見たらすぐに同情を示すことがいつも善なのだろうか。
苦しみや困難はその人のものだ。その人の人生の過程、その人の在り方に属しているものだ。他の人からはとうていうかがいしれないものを抱えたうえでの苦しみと困難なのだ。

そういう苦しみと困難をどうにかして乗り越えて、人はいっそう高い人になるのだ。だから、苦しみと困難はその人が生きていくうえで、より高級な人間になるための必要な要素となっているはずだ。ニーチェは「苦しみの地獄の道を通って天国に行く」という言い換えもしているくらいだ。
それなのに、安易な同情から手伝いを申し出ることは、「あんたの苦しみはだいたいこんなものでしょう」と決めつけるのと同じことなのだ。
つまり、人が抱えているものをまったく平板化したり軽視したりする態度が底にあるわけだ。その態度はやはり相手を蔑視することだ。助ける行為をしながら、さげすんでいるのだ。

相手を尊重する気高さを持て

ニーチェは、古代の英雄や支配者のような生き方をしてみたらどうだという。
それは威張った生き方ではなく、自分に誇りを持ち、相手の誇りも尊重するような精神を持った生き方だ。古代人が戦争をするときに、互いに対面して名乗りあったのも、相手を尊重する態度からだ。
現代人は映画やテレビといったフィクションを見て、英雄や支配者は勝手気ままに猛威をふるって他人のことなどかえりみないと思い込んでいるようだ。それは誇張されたフィクションであって、古代の彼らは現代人が思いもつかないような気高さをも持っていた。その一つが相手を尊重する姿勢だ。

社会が公共の福祉として提供してくるものも、どこか人間を尊重しないところがある。この設備を与えれば、この程度の金額を給付しておけば、その程度でなんとか間に合うだろうという考えだ。
ここに尊重の精神は見られない。わたしたちもそういう人間でいいのだろうか。もっと高い人間になっていくほうがよいのではないだろうか。
この経済社会にあって、金銭は重要だ。けれども、もっと次元の高い場所での重要なものがあるのではないか。それをニーチェは独特の皮肉やからかいの表現を使いながらも示してくれている。

こう考えてみよう
同情は相手を尊重することではない。
相手の困難を軽視してはいけない。