本年度、カンヌ映画祭 パルムドール賞 授賞
アカデミー 外国映画賞受賞 作品
高齢化社会の到来は、『人が老いてからどのように生きる』かと言う答えを求めているように思う。
アンヌとジョルジュ音楽家夫婦として暮らしてきた。
アンヌの弟子、アレクサンドルのコンサートに出かけた夜に、アンヌは頸動脈の損傷から、身体の半分が動かなくなる。
病院から退院後、入院は二度と嫌だという思うアンヌは、夫のジョルジュに、そのことを告げ、二度と入院しないことを約束し、宣言する。
身体の不自由さは、今までの生活を一変させた。
食事の世話から、トイレの世話まで、すべてジョルジュの手が要る。
二人でリハビリもする。
手足を動かし、少しでも歩けるようにと励む。
電動の車椅子も揃え、少しでも楽に自分で動けるようにと工夫をする。
アンヌは、そんな自分に居たたまれない思いを抱く。
ジョルジュは、献身的にアンヌの面倒を見て、週3日ほどの看護師やお手伝い、また、医師の診察を施す。
娘のエバァも心配して様子を見に来る。
かつての母親の面影もないその姿に、エバァは悲しむ。
見るに見かねてエバァは父親に病院に入れたほうがよいという意見を伝える。
あくまで家で面倒を見るというジョルジュの考えと、二人の思いはずれる。
懸命の介護にも関わらず、アンヌの状態は、二度目の発作以来増々悪くなる。
ごく普通の会話ができることもあったが、『痛い、痛い』とただ意味のないような言葉が出る。
小さい子どものようになっていくアンヌに、イライラしながらも、ジョルジュは懸命に面倒をみる。
が、生きるに必要な水分や食べ物を取らなくなっていくアンヌに、どうすることも出来ないいらいらや無力感を抱いていくジョルジュは、ついに最後の行動に出る。
死なない人は居ない。
何時かは自分もこの状態になるかもしれない。
この世界に、私のジョルジュは居るのか?居ないのか?
私のアンヌは居るのか?居ないのか?
タイトルの『愛、アモール』の意味を考えてしまう。
軽い映画ではないが、『もし私ならどうする?』と…。
アンヌの立場でも、ジョルジュの立場でも、いずれはやってくるものなのだろう。
(J)