第61回ベルリン国際映画祭 銀熊賞受賞作品
米アカデミー 外国後映画賞

ヨハネの黙示録
イエス・キリストの黙示。

この目次は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである。
ヨハネは、神の言葉とキリストの証、すなわち、自分が見たすべてのことを証しした。
この予言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである。
時が迫っているからである。
日本聖書協会 「聖書」ヨハネの黙示録 より 抜粋

2時間34分もの長い映画。
1889年トリノで厳しい生活を営む農夫とその娘と1匹の馬。
単調な生活、一日一度のゆでたジャガイモ1個の食事。
吹きすさぶ嵐のような風の中で、この親子と馬の日々がそこにある。

「神は死んだ」という言葉で有名なドイツの哲学者フリードリッヒ・ニーチェが、道で飼い主の鞭で叩かれるのを見て、馬に縋り、泣き、そして狂ってしまったという逸話を含めて、静に話は始まる。

6つの封印が開かれるまた、私が見ていると、仔羊が7つの封印の一つを開いた。
すると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「出て来い」というのを、わたしは聞いた。
そして見ていると、見よ、白い馬が現れ、乗っている者は、弓を持っていた。
かれは冠を与えられ、勝利の上に更に勝利を得ようと出て行った。
仔羊が第二の封印を開いたとき、第二の生き物が「出て来い」と言うのをわたしは聞いた。
すると、火のように赤い別の馬が現れた。
その馬に乗っているものには、地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせる力が与えられた。
また、この者には大きな剣が与えられた。
仔羊が第三の封印を開いたとき、第三の生き物が「出て来い」と言うのを、
わたしは聞いた。
そして見ていると、見よ、黒い馬が現れ、乗っている者は、手にはかりを持っていた。
わつぃは、四つの生き物の間から出る声のようなものが、こう言うのを聞いた。
「小麦は1コイニクスで1デナリオン。
大麦は3コイニクスで1デナリオン。
オリーブ油とぶどう酒とを損なうな。」
仔羊が第4の封印を開いたとき、「出て来い」という第4の生き物の声を、わたしは聞いた。
そして見ていると、見よ、青白い馬が現れ、乗っている者の名は「死」といい、これが陰府(よみ)が従っていた。
彼らは、地上の4分の1を支配し、剣と飢饉と死をもって、さらに地上の野獣で人を滅ぼす権威を与えられた。
日本聖書協会 「聖書」ヨハネの黙示録 より 抜粋

農夫は吹きすさぶ風のなかを、今日も家に帰る。
娘と馬の生活は単調そのもの。
食べて寝て、働く。
嵐の音を聞きながら、ほとんど来る人もない家のなかから、窓からの景色を眺める。

一日目
馬が動かなくなる。

二日目
馬がモノを食べなくなる。
男が酒を求めて来て話す。
“たたかうためには、相手が必要。
不意打ちで勝利したもの。
理性では片方が勝者で片方が敗者。
大空も夢も静寂もすべてが消えて、途方に暮れる。
これからも光は変わらないと思っていた。
人間自らが堕落した手でモノに触れ、
ふれたものもまた堕落した。
時には優しく、ときには残念に
それらは行われてきた。”

三日目
流れ者が来る。
一冊の本をもらう。

四日目
井戸が枯れる。
生活できないと思い、馬もつれて家を出るが、再び家に戻る。

五日目
火が付かなくなる。
わたしはこう言った。
「この書物の予言の言葉を、秘密にしておいてはいけない。
時が迫っているからである。
不正を行う者には、なお不正を行わせ、汚れた者は、なお汚れるままにしておけ。
正しいものには、なお正しいことを行わせ、聖なる者は、なお聖なる者ととならしめよ。
見よ、わたしはすぐに来る。
わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。
わたしはアルファーであり、オメガである。
最初の者にして、最後の者。
始めであり、終りである。
日本聖書協会 「聖書」ヨハネの黙示録 より 抜粋

そして六日目を迎える。

黙示録のように、時が過ぎ、そして、何かを失くしていくのか?
馬はどうなるのか?誰にもわからない。
昼が来て、夜が来る。
明けない夜はない。

(J)

「ニーチェの馬」