93歳のチン爺さんは、理髪師。
いつも、5分遅れる掛け時計と暮らす。

朝起きて、カレンダーを見る。
そして、知り合いの散髪に行く。

時々、麻雀をする。
頭が呆けないようにするためでもある。

そして、自分の死に支度を始める。
自画像を描いてもらったり、自分の写真を撮って、身分証明書を貰う。
淡々とした日常生活の中で、誰とも争わず、死んだ友の飼い猫と会話する。

どんな生き様であろうと、それは、自分自身の中にあるものだという。
物のあることが、決して心の豊かさとは結びつかないということを、映像は、実感させてくれる。

ただ、穏やかに。
あるがままに。

私が93歳になる時、こんな人に熟れるだろうか?
ふと、わが身を振返る。
そんな、静かな映画である。

生より死にうつると心うるは、これあやまり也。
生はひとときのくらゐにて、すでにさきあり、のちあり。
「正法眼蔵  生死」より

「死ぬことは別に遠いところへ行くのではない。
レースのカーテンをめくるだけ。
その日がくるまで、それまでの日々を楽しく、精いっぱい生きたい。」
水利泰子

(J)

胡同 フートン の理髪師