小川 洋子 (おがわ ようこ)
1962年生まれ。早稲田大学第一文学部文芸学科卒業。
88年、「揚羽蝶が壊れる時」で海燕新人文学賞を受賞、91年「妊娠カレンダー」で芥川賞、
2004『「博士の愛した数式』で本屋大賞と読売文学賞、『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花文学賞、
2006年『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞受賞。
著作に『完璧な病室』『薬指の標本』『アンナ・フランクの記憶』『犬のしっぽを撫でながら』『人質の朗読会』など多数。
「ことりの小父さん」が死んだ。
死後幾日か経って新聞の集金人が発見した。
救急隊員、警察官、民生委員、町内会長、役人、清掃業者、野次馬、さまざまな人間が入れ替わり立ち替わりやってきた。
いくらか腐敗ははじまっていたが、もがき苦しんだ様子はなく、
むしろ心から安堵してゆっくり休んでいるように見えた。
遺体は両腕に竹製の鳥籠を抱いていて、
鳥籠の中では小鳥が一羽止まり木の真ん中におとなしくとまっていた。
チッーチッーと短い泣き声がしたあと、不意にさえずりが響き渡った。
あまりの綺麗な歌声にうっとりとした警察官が籠の口を開けてしまったのか。
小鳥は籠を飛び出し、遺体の上を一巡りしたあと、
窓から去って行った。
その小鳥がメジロだと分かった者は一人もいなかった。
小鳥の小父さんはは近所の幼稚園の小鳥たちを20年近くに亘って世話をした時期があった。
その間にいつしか小鳥の小父さんと呼ばれるようになった。
小鳥の小父さんにはお兄さんがいた。
お兄さんは11歳を過ぎたあたりから不意に意味不明の言葉を喋り出した。
母親はあらゆる努力をした。
検査入院、精神分析、薬物投与、言語訓練、断食療法、転地療養。
一度は言語学の専門家にお兄さんの言葉を聞いてもらったこともあったが、
お兄さんは自分のあみ出したその言葉以外の言葉は戻ってこなかった。
お兄さんの言葉を小鳥の小父さんは理解することができた。
そして、世界でたった一人お兄さんの言葉を理解できる人になった。
父親が死に、母親も死んで、兄弟は二人で暮らした。
小父さんは近所の金属会社のゲストハウスの管理人として働き、
やがてゲストハウスの最も詳しい人間になっていった。
お昼休みにはサンドイッチを買って家でお兄さんと食べた。
お兄さんは小さい頃から水曜日に買いに行くポーポーという名の棒付き飴を買い、
幼稚園のフェンス越しに小鳥小屋の鳥を眺めるのを日課としていた。
お兄さんは人間の言葉は話せなかったが、小鳥のさえずりを理解することができた。
彼らは二人だけの巣を守ってひっそりと支え合って暮らした。
それは目立たない葉陰にそっと隠されており、小枝は精巧に組み合わされ、
程よい広さを保ち、敷き詰められた藁は柔らかかった。
そこには二人分の居場所しかなく、他の誰一人入り込む余地は残されていなかった。
お兄さんは死ぬまでこの暮らしは続いた。
「マージナルな存在」であった二人の兄弟は、「取り繕えない人」でもあったのか。
野生の小鳥の声を聞き、決まりきったことをする。
何処かに哀しみと、安らぎを感じさせるこの作品は、その端正な文章とともに、人々の心に訴える。
謙虚さとある種の童心は、読み進む人の中へと静かに、そして深く入り込んでいくのかもしれない。
(J)