バルガス=リョサ 作
西村 英一郎 訳
2010年、マリオ・バルガス=リョサは作家としての長年にわたる活動を評価されて、ノーベル文学賞を74歳で受賞する。
1936年3月28日、ペルーのアレキーパ生まれ。
両親は離婚し、母親とともにペルーを離れ、幼少期を祖父母ののもと、ボリビアで暮らす。
10歳でペルーに戻りサン・マルコス大学の文学部に進み、在学中から小説を発表する。
大学卒業後、スペインに1年留学し、その後パリに暮らす。
アルバイトで生計を立て執筆に取り組み、1959年にはそれまで書いてきた短編を『ボスたち』としてまとめ刊行した。
ラテンアメリカ文学降盛を迎えるなか、
長編小説『都会と犬ども」(1963)『緑の家』(1966)で一挙にラテンアメリカの現代作家としての地位を確立する。
1987年に出版された『密林の語り部』は、
彼の第三期の傑作の一つで、
フィレンツェにいる筆者がペルーとペルー人の人びとについて回想する章と、
ペルー・アマゾンを舞台に、
顔の右半分に葡萄酢のような暗い紫の大きな痣のあるサウル・スラータスというユダヤ系の友人が、
民俗学者としての将来も捨てて、密林の語り部へと転生していくことを描く。
筆者がフィレンツェの画廊で思いがけなく目にした写真には、
アマゾンの原住民・マチゲンガ族の日常がとられていた。
その写真は、
ぺルー東部クスコ、マードレ・デ・ディオス両県のアマゾン地方に住むマチゲンガ族の日常を、
誇張も美辞麗句も使わず伝えることに成功していた。
そして、その写真の中に民俗学の文献などではほとんど語られることのない『語り部』の姿があった。
写真の語り部は、一匹のオウムを肩に乗せて旅をしているようだ。
ひとところに住まず旅をするマチゲンガ族の間に語り継がれている物語や知恵を、
人びとを訪れて『語り部』は話す。
その『語り部』となったサウル・スラータスは気さくで包み隠さない無欲さと、
性格の良い印象を与えた。
人びとはその痣から、彼のことを「マスカリータ」と呼んでいた。
彼自身は、痣のことは気にならないと言っていたが、
街に出ると人びとは彼の痣のある顔を見て、『化け物』といった。
サウルは、母親を亡くして、その後2人で暮らす父親のドン・ソロモンのことを気にかけていた。
ヨーロッパに留学が決まりかけたときも父親を一人にできないとその話を断るほどだった。
大学の二年間、筆者はサウルは、かなり親しい交際をするが、
アマゾンの原住民に対する考え方の違うはお互いに本心を話すことのない関係へと変化させていく。
ペルー・アマゾンへの開発は、
キリスト教への回心を含め、原住民の今までの生活を変化させていくことになる。
アマゾンの開発で、本当に原住民は幸せになるのだろうか。
キリスト教への回心は、彼らの信仰を変化させより良いものへと変えていくのだろうか。
昔からの知恵に含まれるさまざまな話は、
世界に散らばる民族の歴史とも似て美しくもあり残酷でもある。
『語り部』の話は興味深くもあり、理解しがたいものでもある。
日本の歴史書ともいえる『古事記』が語る世界とも似ているその話も含めて、物語は進んで行く。
自らの出自とともに、ペルー・アマゾンへのリョサの思いは深い。
日常的に見聞きすることのない南米ペルーの密林を心に思い浮かべながら、
『語り部』の語る世界と、小説の面白さに唸る。
(J)