いしい しんじ Ishii Shinji
1966(昭和41)年大阪生れ。
京都大学仏文学科卒。
2000(平成12)年、初の長編小説『ブランコ乗り』を発表。
’01年、『トリツカレ男』発表。
’03年、『麦ふみクーチェ』で坪田譲治文学賞受賞。
’04年、『プラネタリウムのふたご』が三島賞候補に。
’05年『ポーの話』三島賞候補に。
その他の作品に『白い鳥と黒い鳥』『雪屋のロッスさん』など。
丹念に紡がれたその物語世界は、10代からとうに大人になった人たちまで、読者の心をしっかりつかんで放さない。
三島半島の港町三崎のほか信州松本にも居を構え、それぞれ海を望む部屋、山を望む部屋で執筆している。
ジュゼッペはみんなから「トリツカレ男」というあだなで呼ばれている。
一度何かのとりつかれると、ほかのことにいっさい気が向かない。
そう、普通じゃないほどとりつかれてしまう。
たとえばおととしのある気持ちのいい春の日、突然オペラにとりつかれた。
毎日、うたいながら表通りのレストランまで歩いてく。
ジュゼッペはそこでウエイターをやっている。
レストランのジュゼッペはばりっとした制服姿、童顔で、やせっぽっちの小男でも、ネクタイしめりゃちょっとした男前だった。
仕事中もオペラを歌ってる。
そんなジュゼッペに店のご主人は、「このまんまじゃクビだな」と言う。
うつぬいて泣きそうな顔のジュゼッペの歌は、マイナー調。
夏の終わりに近づいたある夕方、ランニングと短パン姿のジュゼッペは、とっとっとっ、と小走りに駆け、大股で足をかえ一度、二度、三度、左、左、右と飛び跳ねる。
今度は三段跳びにとりつかれ。
サングラス集め、探偵ごっこ、昆虫集め、ナッツ投げ、ハツカネズミと、トリツカレ男はいろいろなものにとりつかれていた。
ある秋の日、天気のいい月曜日だった。
公園で風船を売るペチカにジュゼッペはとりつかれた。
とってもやせた、でもきれいな女のこだ。
とりたてておしゃれってわけじゃないけど、みてるだけでなんだかゆかいな、ふしぎなデザインの黄色いワンピースを着ていた。
そして、ジュゼッペは、ペチカの心に張り付いた悲しみをとりのぞこうと、いろいろなことをすることになる。
「トリツカレ男」ジュゼッペの物語は、不思議な不思議な物語。
読んでいると、ハラハラドキドキしながらも、いつしか心が澄んでいくのを感じる。
夢中だからできることもあるだろうが、相手を思いやる気持ちの美しさが、沁み込んでくるような作品だった。
(J)