村田 沙耶香 Murata Sayaka
1979年千葉県生まれ。
2003年「授乳」で群像新人賞(小説部門・優秀作)を受賞してデビュー。
09年『ギンイロノウタ』で野間文芸新人賞、13年『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島賞、16年『コンビニ人間』で芥川賞を受賞。
他の著書に『マウス』『星が吸う水』『ハコブネ』『タダイマトビラ』『殺人出産』などがある。

雨音(あまね)は、小学校に上がるまで、母の作った正しい世界の中で暮らしていた。
そのころには、離婚した父はもう家を出ていってしまって、母と二人きりで木造の小さな一軒家で過ごした。
「お父さんはね、本当に雨音ちゃんを愛していたのよ」と何度も母は、言い聞かせた。
母は、赤が好きだった。
部屋には、古い小さな赤いソファがあり、カーテンにも赤い花が散らばっていた。
夜にはガラスのランプも仄かな赤い色を発していた。
「お父さんとお母さんはね、とっても好き合って、恋に落ちて結婚して、愛し合ったから雨音が生まれたのよ。」
雨音が大人しく話を聞いていると、母は機嫌が良かった。

「ヒトは科学的な交尾によって繁殖する唯一の動物である。
第二次世界大戦中、男性が戦地に赴き、子供が極端に減った危機的状態に陥ったのをきっかけに、人工授精の研究が飛躍的に進化した。
男性が戦地にいても精子を残していけばそれで妊娠が可能になり、残された多くの女性が人工授精で子供を作った。
戦後になると人工授精の研究はさらに進んだ。
人工授精による受精の確率は交尾よりも圧倒的に高く、安全であり、先進国から、今では全世界に広まり、交尾で繁殖する人種はほとんどいなくなった。
繁殖に交尾はまったく必要なくなったが、今でも人間は年頃になると、昔の交尾の名残で恋愛状態になる。
アニメーションや漫画、本の中のキャラクターに対して恋愛状態になる場合もあれば、ヒトに対して恋愛状態になる場合もあるが、根本的には同じである。」
本文 抜粋

雨音は、大人になり一度結婚するが、夫に「近親相姦」されそうになり離婚した。
漠然とだが、子供が欲しいという憧れがあり、経済的に無理があるので、婚活パーティーで今の夫と知り合った。
知り合ってから、事情が知りたいという彼に「近親相姦」の話をすると、彼は、「夫婦がセックスするなんて、そんなおぞましいことが・・・・・・。」
と、トイレに駆け込んで吐いてしまった。
あなたは被害者だという彼を、“この人なら大丈夫だ”と思い、結婚し、家族になった。

セックスではなく人工授精で。子どもを産むことが定着した世界に暮らす雨音は、「両親が愛し合って末」に自分が生まれたことに嫌悪していた。
夫婦の性行為は「近親相姦」であり、清潔な結婚生活をおくり、恋愛は夫以外の人やキャラクターとするものだった。
また、実験都市として楽園(エデン)が作られており、エデンシステムが機能していた。
その実験都市では、「家族」というシステムではなく、心理学・生物学・生物学・あらゆる観点から研究されて誕生した新しいシステムで、人々は子どもを育て命を繋いだ。
そこでは、全ての子どもたちは、全ての大人を「おかあさん」と呼んで、共に育み、成長した。

清潔な結婚生活を送り、夫以外の人やキャラクターと恋愛を重ねる雨音の“正常な”日々は、実験都市・楽園に移り住むことによって、変化することになる。
また、その世界では、男性も妊娠し出産する。
実験都市・楽園は、清潔そのもので、心地良いものだった。

ジェンダーレス社会の到来か。
はたまた、近未来はこんな世界なのだろうか。
家族とは、夫婦とは、子供とは、また、幸せとは何か。
読み進みながら、公平な世界とはどういうことなのかと考えてしまった。
興味深い一冊である。

(J)

「消滅世界」