本谷 有紀子 (もとや ゆきこ)
1979年生まれ。
「劇団 本谷有紀子」を旗揚げし、主宰として作・演出を手がける。
’06年上演の戯曲『遭難、』で第10回鶴屋南北戯曲賞を史上最年少受賞。
’08年上演の戯曲『幸せ最高ありがとうマジで!」」で第53回岸田國士戯曲賞受賞。
小説では’11年に『ぬるい毒』で第33回野間文芸新人賞、’13年に『嵐のピクニック』で第7回大江健次郎賞、’14年に『自分を好きになる方法』で第27回三島由紀夫賞、’16年に本書『異類婚姻譚』で第154回芥川賞を受賞。
’18年8月には最新刊『静かに、ねぇ、静かに』を上梓。
その他の著書に『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』『あの子の考えることは変』『生きているだけで、愛』『グア、ム』など多数。

「ある日、自分の顔が旦那の顔とそっくりになっていることに気が付いた。
誰に言われたのでもない。
偶然、パソコンに溜まった写真を整理していて、ふと、そう思ったのである。
まだ結婚していなかった五年前と、ここ最近の写真を見比べてなんとなくそう感じただけで、どこがどういうふうにと説明できるほどでもない。

が、見れば見るほど旦那が私に、私が旦那に近付いているようで、なんだか薄気味悪かった。」
本文 抜粋

朝食の後片付けは食洗機、洗濯は洗濯機が乾燥までやってくれる。
誰がこの家の家事をしているのか、サンちゃんは、たまにわからなくなる。
ウォーターサーバーの会社に事務員として働いていたが、小さな会社で人手が足らず激務を押し付けられ、体調を崩して悩んでいた頃、旦那と知り合った。
稼ぎが人並み以上あり、持ち家もある。
無理して働かなくてもいいという旦那の申し出に飛びついて以来、専業主婦だ。
あまりの楽チンさに人生ズルしている気がする。
子供もいない。
そんなある日、旦那と自分の顔の輪郭が混じりあってそっくりになっているのに気付く。

私は初婚だが、旦那はすでに一度結婚に失敗している。
前の奥さんの前ではだらしなさを隠し、格好をつけて疲れたらしい。
「サンちゃん、俺はテレビを一日三時間は観たい男だ。」
「俺は何もしたくない男だ。」
「俺は家では何も考えたくない男だ。」などと宣言するようになった。
サンちゃんには、本当の俺を見せたいなどと言われ、うっかり喜んでしまった。
若かったのである。
旦那の言うテレビは、バラエティ番組を指すと分かった。
振り返れば、その頃から旦那の顔は少しづつ緩みだしていたかもしれない。
ある日見ると、旦那の眼鼻が顔の下の方にずり下がっていた。
〈あっ。〉大きな声を上げた瞬間、声に反応するように目鼻は怖れてささっと動き、何事もなかったように元に位置に戻った。

〈慣れ親しんだ生活のなかで、ふと垣間見てしまった異世界。〉
シュールとも、いえる物語だ。
〈自分の甘えやだらしなさは棚に上げ、相手にだらしなさは気になる。〉
〈妻と夫は合わせ鏡。〉
妖怪みたいな旦那は、最後には思わぬものに変身する。
夫婦・結婚の強烈な違和を軽妙酒脱に描く。
自由奔放で、ふと考えさせられる、そんな物語でもある。

(J)

「異類婚姻譚」