窪 美澄 (くぼ みすみ)
1965年東京都生まれ。作家。短大中退後、広告制作会社、フリーの編集ライターを経て、2009年「ミクマリ」で第8回女による女のためのR-18文学賞大賞を受賞しデビュー。11年、受賞作を収録した『ふがいない僕は空を見た』で第24回山本周五郎賞を受賞、本屋大賞第2位に選出される。12年『晴天の迷いクジラ』で第3回山田風太郎賞を受賞。著書に『アニバーサリー』『雨のなまえ』『よるのふくらみ』『水やりはいつも深夜だけど』『さよなら、ニルヴァーナ』がある。
いっしょに暮している向井くんが出て行った。
向井くんの住んでたところに居候しているのは私なのに彼が出て行った。
12月30日の言い争いは強風にあおられたように広がり、
収拾のつかないままになってしまった。
自分の部屋でトランクにおたおたと荷物を詰めていたら,
向井くんのキャリーバッグの音が響く。
結婚をほのめかす向井くんだが、
彼が居なくなってほっとしている自分が居た。
私と弟を家に残して家を出た母親とは3年前に再会する。
産みの母との再会はまるで防波堤が崩れて波が押し寄せるかのような感情の高ぶりがあるのかと思っていたが、
私の気持ちは凪いでいた。揺れないままだ。
自分を産んだ母親が家を出たのは、私が中学校に入る直前だった。
その母にやさしくできない自分がいる。
母が家を出たには、繰り返される父親の浮気と、
同居していた伯母が母に冷たくあたったからだと私は思っている。
2人の子どもを置いて突然家を飛び出した母を伯母は死ぬまで許さなかった。
『お義姉さん、お義姉さん』と伯母に呼びかけている母は、
水と油のように伯母と合わなかった
お正月にその母親と母と一緒に暮らす13歳年下の叔父さんの家に行く。
母は『クラウドクラスター』のような人だ。積乱雲が集まって感情でモクモクしている。
私が家を出る時、弟に後ろめたい感情を抱いたのを覚えている。
まるで私も母のように弟を見捨てていくように思ったからだ。
専門学校を出て、家を出た。
イラストレーターの仕事で生活しようとしたが、
一人で生活するほどにはなってない。自分がさほど上手くないこともわかっている。
家族という足場を作り社会に居場所を作ることが怖い。
そして、ふと気付く。
自分は新しい家庭が欲しいわけじゃなくて、
ただ帰れる場所が欲しかったのだと…。
毎日の生活は流れていく。あくせくしながら、追われながらも流れていく。
ふとした瞬間に、ふと立ち止まってみると、見えない自分がそこに居る。
そんな心の襞を素直な言葉で語るそんな作品だ。
(J)