門田 隆将 Ryusho Kadota
1958(昭和33)年高知県生れ。
中央大学法学部卒。
雑誌メディアを中心に、政治、経済、司法、事件、歴史、スポーツなどの幅広いジャンルで活躍している。
主な著書に『裁判官が日本を滅ぼす』『なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日』『あの一瞬 アスリートはなぜ「奇跡」を起こすのか』『甲子園への遺言』『神宮の奇跡』などがある。

1999年4月14日、山口県光市で、本村弥生23歳と11か月の娘夕夏が惨殺された。
第1発見者は、夫である本村洋だった。
残業で帰宅した家で、押し入れに押し込められ、殺されている弥生を見つけた。
夕夏は、天袋で発見される。

逮捕された犯人は18歳で、少年法が適応される年齢だった。
外から見たら平凡に見える犯人の一家は、父親の暴力の支配する家庭だった。
彼が12歳のとき、まだ38歳だった母親は自宅ガレージで首吊り自殺しており、原因は夫の暴力だったと言われている。
母親は、暴力を振るい、賭け事に給料を投じる夫で、実家から内緒でお金を借りたりしていた。
犯人は、「おまえが勉強せんから、お母さんは自殺したんや」と父親から聞かされていたという。

彼は、高校入学後、家出や不登校を起こし、事件の前年ゲーム機などを盗んだとして自宅謹慎処分を受けていた。
高校の紹介で会社で勤め始めるが、1週間後にはサボり始め、事件当日も仕事をせずにゲームセンターで遊んでいた。
誰かをレイプしようと物色していて、本村宅に水道管の点検で入り込んで犯行に及んだという。
弥生を後ろから襲ったが抵抗され、首を絞めて殺害し、その後レイプする。
母親へ追うすがる夕夏をあやすが泣きやまず、ひもで首を絞めて殺す。

「少年法で犯人は守られている」と本村は思った。
当時の少年法では、裁判での判決が終身刑でも、少年法が適応されて7年で出所できた。
絶望の淵に在りながらも、本村は妻や子どもの名誉をかけて司法の壁に立ち向かう。
何度も自殺を考え、孤独と人々の支えを得ながら、本村は、その当時の司法制度では不可能と言われた『死刑判決』を勝ち取るために挑むつづける。
三度の裁判で、彼はそのことをやり遂げる。

筆者の、9年にも及ぶ綿密な取材を元に書かれたノンフィクションでもあり、ドキュメント作品でもある。
妻子が殺された当時、本村は、まだ幼さが顔に残る23歳だった。
その後のさまざまな活動は、彼を変えたという。
自分の正義を信じて、人々の支えられ、じっくりと考え行動する。
苦悩の日々であったであろう9年の年月は、本村も犯人も、共に、貴重でかけがえのない時間であり、貴重なものなのだったのだろう。

(J)

 

 

 

「なぜ君は絶望と闘えたのか」 本村洋の3300日