アドルフ・ポルトマン Adolf Portman
1897年にバーゼル(スイス)に生まれる。
動物学をバーゼル大学で専攻し、1921年にドクトルの学位を得て同大学を卒業する。
バーゼル、ジュネーブ、ミュンヘン、パリ―、ベルリンの各大学で、またさらにヘリゴランド(ドイツ)、ロスコフ(ブレターニュ)ビューフランス・スイス・メール、およびバニュール・スール・メールの各臨海実験所で、その専門の研究を続けた。1921年のバーゼル大学教授になり、同時に動物学研究施設の所長に任じられる。1947年バーゼル大学総長をつとめ、1947年から1951年までは、「国際大学教授連盟」の会長であった。
彼の動物学の研究領域は、鳥類の形態学および発達史、比較胎生学についての研究と人間学的研究によってますます拡げられている。
著書、研究論文など多数。

進化論は、人間もまた動物であり、サルから進化したものであると説く。
だが、人間とサルとの距離がどのくらいあるものなのかについては、必ずしも明らかではない。
世界の動物学者が、この問題を広範な比較研究によって説き明かし、さらに社会学、心理学、人類学の成果を取り入れて、新しい人間学を打ち立てようと試みる。

生物学の研究こそ、人間の問題をときあかすのにいちばんいい出発点だ、という今日常識になっている考え方に、われわれはかならずしも賛成ではない。
とはいえ、われわれが人間論の問題にまでこぎつけることができたのは、ほかでもなくこの生物研究のおかげだ。
つまり、さまざまな脊椎動物群の発生・発達のしかたを、ひろくさまざまな関係からたえず比較研究していくうちに、ついに人間の発生・発達のあたらしい研究がうまれてきたのである。
だから、この本も、高等哺乳類の幼少期と、人間のそれとをならべて比較することからはじめていいだろう。
本文 抜粋

高等な組織制段階にある哺乳類の妊娠期間は、比較的長い。
有蹄類、アザラシ、クジラ、猿類などがそうだ。
50日以上のものが多く、生まれてくる子供の数は、たいてい1~2匹、まれに4匹であり、数の上では少ない。
離巣性であり、「巣立つもの」である。
下等な組織体制段階にあると言われる多くの食虫類、齧歯類、イタチ類、小さな肉食類の妊娠期間は短く、20~30日程度である。
生まれてくる子供の数は多く、8~20匹程度である。
就巣性で、「巣に坐っているもの」である。

人間は、高等な組織性段階にあり、妊娠期間も長い。
生まれてくる子供の数も1~2人程度と少ない。
ところが、他の高等な組織制段階にある哺乳類と比較して、生まれて来てから一人でさまざまな物事ができるようになるのに非常に長い期間が必要だ。
つまり、就巣性で、「巣に坐っているもの」の特徴と似ている。(二次的就巣性)
どうして、人間は、猿等と同じように生まれて僅かの期間で、親と同じように(親を小さくしたような姿)にならないのだろうか。

サルは胎生生活でいっそう早く大人の割合に到達する、したがって、「巣立つもの」の発達経過をもつ高等哺乳類に相当する。
そうして生まれた時の状態は成育したおとなの姿の縮図、つまり模写像の姿をとる。
ところがこれに反して人間は、くわしいことはまだわかっていないが、ある遺伝子的要因によって、とにかく、サルのように早くその種に応じたおとなの身体の割合に到達することをさまたげられていて、あらゆるサルの関係からまったくはずれた成長のしかたをして、特別な中間段階を経たあとで、誕生後になってやっとおとなの身体の割合に達する。
本文 抜粋

他の高等な哺乳類とは、かなり違う成長・発達を遂げる人間の生後1年に、人が人であることに必要な社会性や共感と言われる能力を身につける時期があるという。

われわれ人間の発達過程のなかで、外部にあらわれたこの二つのきわだった段階において、成育したおとなにみられるこの二つに相当した体型に帰せられるような心理的な本質的特徴をみられるというのは、身体の形態と心理的な体験のしかたのあいだに、なにかかくれた深い関係があることえおしめすのではないだろうか。
本文 抜粋

体型が、年代とともに変化することも、また、心理的体験がもたらす一つの特徴という。
クレッチマーの「痩せ」と「肥満型」の比較研究なども紹介されている。

この本は、1944年に初めて出版された。
日本へは、1961年に紹介されている。
そして、未だに、各分野に影響力を持つものとして読者が絶えない。
人間に最も近いとされるサルと人間の遺伝子レベルでは、98.4%まで同じと言われている今日だが、生まれて育つまでの歴史は、ずいぶんと違う。
人間と動物はどこまで似ているのか。
未だ確かな答えのないこの質問に、ある種の答えをもたらしているようにも思う。
事実だけの検証は、確かな読み応えをもたらしていて、興味深く、また心理的なものの見方や各種の研究に深みをもたらしているように思う。

(J)

「人間はどこまで動物か」 -新しい人間像のためにー