東 浩紀 (あずま ひろき)
1972年東京都生まれ。
評論家・哲学者。
株式会社ゲンロン代表。
東京大学大学院総合文化研究所博士課程修了。
著作に「存在論的、郵便的」「動物化するポストモダン」「クォンタム・ファミリーズ」「一般意志2・0」「ゲンロン0 観光客の哲学」など多数。
オタク文化の本質とポストモダンとは、社会構造のあいだに関係がある。
オタク系文化とポストモダン的な特徴は、2点あるという。
ひとつは「二次創作」といわれる、原作のマンガ、アニメ、ゲームをおもに性的に読み替えて制作され、売買される同人誌、同人ゲーム、同人フィギュアなどである。
その作品や商品はオリジナルとコピーの区別が弱くなり、そのどちらでもない「シミュラークル」という中間形態が支配的となる。
もうひとつは、虚構重視の態度である。
彼らの虚構重視は、趣味だけでなく人間関係も決定していることがある。
親族関係や職場のような社会的現実とは関係なく、アニメやゲームの虚構を中核とした別種の原理で決められていることが少なくないという。
18世紀末より20世紀半ばまで、近代国家では、成員をひとつにまとめあげるために、さまざまなシステムが整備された。
そして、その動きを前提として社会が運営されてきた。
そのシステムはたとえば、思想的には人間や理性の理念として社会が運営され、政治的には国民国家のイデオロギーとして、経済的には生産の優位としてきた。
「大きな物語」と呼ばれたそのシステムは、やがて機能不全を起こす。
日本での「大きな物語」の弱体化は、高度経済成長と「政治の季節」が終わり、石油ショックと連合赤軍事件を経た、70年代に加速的に起きた。
オタクたちは、ちょうどその時期に出現し、ジャンクなサブカルチャーを材料とし、神経症的に「自我の殻」をつくった。
「大きな物語」の失墜を背景にして、その空白を埋めるように登場した行動様式だという。
また、内在的な他者と超越的な他者の区別が「失調」しており、そのためオカルトや神秘思想に惹かれると、社会学者の大澤真幸は分析している。
その流れはやがて、「大きな物語」を、必要としなくなり、データベースの「萌え要素」を中心としたゲームやトレーディング・カードの世代へと移る。
ポストモダンの時代には人々は動物化する。
彼らの文化消費が、大きな物語による意味づけではなく、データベースから抽出された要素の組み合わせを中心として動いていることが挙げられる。
彼らはもはや、他者の欲望を欲望する、というような厄介な人間関係に煩わされず、自分の好む萌え要素を、自分の好む物語を演出してくれる作品を単純に求める。
『反論があるかもしれない』と書きながらも、筆者はその理由を本書に記している。
コンピューターやウェブなどの普及で、思考や欲望まで変化した!!!
「超平面的」と説明されている同時に多くの平面をスクリーンに越しだすコンピューターやウェブは、一見階層的に見えながらも、同一平面だ。
見えないものが次々と見える平面は、シミュラークルと同じで、AがBを、BがCを、CがDをいうように、階層的に規定する世界ではなく、AもBもCもDも同じ情報から読み込みとして並列関係だ。
その特徴が、オタク系文化のさまざまな要素の異なった階層の情報を、平行に消費していくという。
時代は変化する。
この本は、その変化を、確かなこととして知るのに、貴重な一冊かもしれない。
物語的想像力は、今、興味深い流れをつくり出しているのだろうか。
今一度、確かめてみたい。
(J)