ジム・ホルト Jim Holt
アメリカの哲学者/作家。
ニューヨーカー誌、ニューヨークタイムズ紙などに科学や哲学に関する記事を寄稿する。
著書に本書のほか SHOP ME IF YOU’VE THIS がある。
ニューヨーク市グルニッジ・ヴィレッジに在住。
哲学、名詞。 どこからともなく現れて、どこにも行き着かない多くの道からなる、一本の道。
―アンプローズ・ピアス、 「悪魔の辞典」
本文 抜粋
『本書は、あらゆる難解な哲学書に対して胡散臭さを覚え、しかも知的好奇心旺盛な人びとにうってつけである。』中島義道。
という本の帯の言葉にふと目が留まる。
何もないことだってありえたはずの世界がなぜある世界なのか。
この存在の謎に対する答えを求めて筆者は知的世界をさまよう。
哲学者/物理学者/神学者/文学者との対話を重ねて存在の謎に迫る。
善のイデアから、神、数学、情報、量子、多宇宙、さまざまな情報の中から導き出された結論とは、果たして事実なのか。
ネーゲルも同様の指摘をおこなっている。
彼は次のように書いている。
内側のからの感覚では、「私の存在は、独力で自立する可能性のある宇宙であり、自分という存在を継続させるには、ほかに何も要らないように思える。
一部が覆い隠されて見えないこの自己像が、トマス、ネーゲルはいずれ死に、そうにともなって自分も死ぬという明白な事実にぶつかると、突如として衝撃がもたらされる。
これは無の非常に強い形態である。・・・・・・私は自分のことを、偶発的な現実に基づいた可能性の集合体ではなく、何にも依存しない可能性の集合体だと、つい無意識に考えているが、そうでないとわかるんだ。」
本文 抜粋
「私という人間が誰もいなくなるということは、つまりそれだけのことだ。
のことがわかったからには、私の死はそれほど悪くないように思える。」 デレク・パーフィット
本文 抜粋
自分は、世界の中心にいるが、宇宙の中心にいるわけではない。
それぞれの人がそれぞれに自分という中心を持ちながらも、誰も宇宙の中心にいるわけではない。
「何かがある」のかという謎への答えが本当にあるのだろうか?
ベンローズが私のために描いてくれた存在をめぐる図式は、奇跡的と言ってもいいほど自己創造的であり、かつ自律的なものであるように思われた。
プラトン的世界、物理的世界、心的世界という三つの世界がある。
そして、それぞれの世界は、どういう方法でか別の世界のうちのひとつの世界を生み出す。
プラトン的世界は、数学という魔法の力を通じて物理的世界を生じる。
物理的世界は、脳の化学作用という魔法の力を通じて心的世界を生じる。
そして心的世界は、意識による直観という魔法の力を通じて、プラトン的世界を生じる。
すると今度は、プラトン的世界が物理的世界を生じ、物理的世界が心的世界を生じるといった具合に巡り巡る。
こうした自己完結型の因果ループ―「数学」が「物質」を創造し、「物質」が「心」を創造し、「心」が「数学」を創造する。-を通じて、三つの世界は支えあい、宙で「無」の深淵の上を舞っている。
ペンローズの不可能物体のように。
本文 抜粋
数学でいう「不可欠性論法」による説明もある。
アインシュタインの一般相対性理論を取り上げてみよう。
時空の形状が、物質やエネルギーの宇宙全体における分布状態によって決まる法則を記述する際、アインシュタインの理論では、「関数」、「多様体」、「テンソル」といった多くの数学的対象が並べ立てられる。
相対性理論が正しいとと信じるならば、私たちは数学的対象の存在を熱心に支持しているということではないだろうか?
世界を科学的に理解するのに数学的対象が欠かせないならば、それが実際に存在しないふりをするのは、知的な面で不誠実ではないか。
本文 抜粋
「想像することはすべて存在しうる。」という考え方がある。
豊饒性の原理
現実はあらゆる論理的な可能性を包含しており、可能な限り中身が盛りだくさんで、多様性に富む。
可能性のあるどんなものも、実際に存在する。
本文 抜粋
この本を読んで、頭を活性化し、想像力の限界まで存在を考えてみるのも面白いかもしれない。
(J)