平山 郁夫  ひらやま いくお

昭和5年(1930)、広島県に生まれる。
昭和26年、東京美術学校日本科卒業。
昭和34年、第44回院展に「仏教伝来」入選。
昭和36年、第46回院展で「入涅槃幻想」が
日本美術院賞・大観賞受賞。
平成5年、文化功労者となる。
著書に画集『西から東へ』『わが心のシルクロード』『大和路を描く』他がある。

仏教美術を描く平山郁夫さん。
広島で被爆し、自身も原爆症の苦しみと共に歩み、その苦しみと、生き残った罪悪感や原爆の火の中の原風景を心に持ちながら、自身のみでなく、人間の救いを願いながら、作品を画く。

日本画との出会いは、本人が強く願ったものではなかったらしい。
叔父のススメと、その当時の流れのようなモノが、彼に絵を描く方向に進めたようである。
広島の画がなかなか描けず、その恐怖や凄まじさ故に、どうしたら絵になるか模索したようである。

 

……炎の中で生きる不治のシンボルとして私が描くことにしたのは、”不動明王”でした。
炎に巻かれながらも超然として立ち、憤怒の形相で下界を見下ろす不動尊でした。
怒りと哀しみを超えて、人びとに「生きよ!」と叫ぶ不動尊の姿でした。
全面を炎上する広島の町と炎で埋めつくし、右上隅の天空に不動尊を配したこの絵は、「広島正変図」と題して、私の昭和54年秋の院展出展作となったのでした。
本文 抜粋

一生を賭けて追い求めることになったシルクロードとの出会いは、多くの人々がシルクロードに賭けた夢とは裏腹に荒野との出会いでもあった。
が、そこでの人々との出会いは、暖かく心和む出会いでもあったようだ。

多くの仏教日本画を残した彼の作品は、どこか物静かで、澄んだ心に私たちを導いてくれるようだ。

「仏教伝来」   1959年 佐久市近代美術館蔵

「この絵には、群青主体の色調が独特で、朱、金、白の滲むような輝きが含まれ、老成のなかの若々しさ、みずみずしい静けさ、爽やかな情熱といったものが印象的である。」
私は、何度も何度もこの評を読み返しました。
まったく無名の一出展者にすぎなかった私にとって、この批評がどんなに驚きで、うれしいものだったか、とても言葉に尽くせないほどのものでした。
本文 抜粋

「入涅槃幻想」   1961年 東京国立近代美術館蔵

義父の死を重大な契機として、私の「入涅槃幻想」は完成しました。
その絵は、花に埋まって横たわる釈迦の姿を中央に、弟子たちを周りに配したものです。
悲しみを超えて静まりかえる弟子たちの上には、釈迦が光となって注いでいます。
しかし、なお動揺する弟子たちの心は、その周りで羽を休め、あるいは無秩序に飛び交う小鳥たちが表わすという構成です。
下図の段階では思いも及ばなかった鮮烈な「涅槃図」となりました。
本文 抜粋

(J)

「群青の海へ」 わが青春譜