藤堂 志津子
1949年、札幌生まれ。
87年小説「マドンナのごとく」で北海道新聞文学賞を受賞。
89年「熟れてゆく夏」で直木賞、01年「ソング・オブ・サンデー」で島清恋愛文学賞、03年「秋の猫」で柴田錬三郎賞を受賞。

岩本の二度目の浮気が発覚した日、私は、一回目のときと同じように逆上した。
逆上して、まずは、そばにあったものを手当たり次第、岩本に投げつけた。
「どうゆうつもりなのよッ、まったく、もう。
どこまで私をばかにすれば気がすむのよッ」テレビのリモコンがとんだ。
封を切っていないカップめんが、それに続いた。
二本のボールペンも次々と投げつけられ、焼酎のにおいのする、からの湯呑み茶碗も岩本めがけてとんだ。
何を投げても惜しくはなかった。
そこは岩本のひとり所帯のマンションの一室で、投げつけた品々は、どれも彼の所有物で私のではない。
九月の最初の日曜日の早い午後だった。
その日のその時刻に私がここを訪れるのは、きのうの電話で岩本も承知のはずなのに、なのに彼は、昨日、この部屋に女を連れこんでいた。
私がきたときには、女は帰ったあとだったけれど、私は目ざとくその証拠を見つけた。
本文 抜粋

30歳のときに、いったんはあきらめた結婚に、33歳に岩本に出会い、再度結婚への野心に火が付いた私は、岩本と関係ができて以来、部屋の掃除と洗濯に取りかかったものだ。
それ以来、岩本も洗濯と掃除は、私にまかしておくにかぎるとばかり、自分では一切しなくなっていた。

その散らかった部屋に女のパンティ・ストッキングを見つける私。
『相談を持ちかけられた』とか『浮気じゃないとか』とか『何もなかった』とかなんだかんだと言い訳を繰り返す岩本。

2年間に二度の浮気……気持ちの萎える私は、『結婚しても浮気に悩まされるに決まっている』と考える。
そうする価値のある結婚だろうか……

足の間にに挟みこんでいるパンティ・ストッキングを意識しながら、徒労感と空しさを感じる。
そしてついに、私は決める。
『こんな男は要らない』

2週間後、岩本との別れが大きなきっかけとなり、私はかねてからの念願の猫を飼った。

それも二匹の猫。
ロロとミミと名前を付ける。
ロロはとてもお利口さんで、私の言うことをきちんと聞き分ける。
手がかからない。

ところがミミは、ロロとはうまく気が合い、じゃれたり屈託なく遊ぶのに、私に対して、仲よく折り合ってやっていこうという気持ちがさらさらない。
その上、排泄用の砂箱があるのに、三日に一度はわたしの裏をかくように、ソファーの脚もとや部屋のすみでおしっこをしてしまう。

そんな折、岩本との出会いで猫の愚痴を言い、慰められたわたしは、猫の毛のアレルギーがあるという岩本に対して、一瞬の迷いもなく、猫たちを選んでいた。

私は、ミミに対しての態度をがらりと変える。
ミミに話しかけ、ミミがどんな態度をとっても意に介さず、逃げるのをつかまえても胸に抱き、ミミだけのために時間を作りようになり、自分の愛情を浴びせかけるようにした。

ミミはほんのすこしづつ打ちとけ、私に抱かれ甘えるようになり、体をすり寄せるようになる。

春になって、岩本が例のパンティー・ストッキングの女と、結婚するという知らせを聞く。
厚かましい、恥知らずの女に、祝電でも打とうかと思っている。
文面は、『やさしさと思いやりをありがとう。
一生忘れません。
愛をこめて・ミミ』
この祝電を読んで、どうなっても私は知ったことではない。
わざと残されたストッキングのお返しが、当然、この祝電は兼ねている。

短篇5編が乗っている本で、登場人物とともに、犬や猫が登場する。

主人公の女性は、自立的、かつ、野心的でもある。
自分の理想を追いつつも、逞しく生きる、そんな女性が描かれている。

ウィットに富んだ、軽い文章が、気持ちをふっと軽くさせてくれる。
そんな作品に心が和む。

(J)

「秋の猫」