芥川 龍之介 (あくたがわ りゅうのすけ)
明治25年(1892)3月1日、東京生れ。
幼くして母方の伯父・芥川家の養子となり、下町の本所に過ごす。
府立三中、一高を経て東京帝国英文科を卒業。
東大在学中に豊島与志雄や菊池寛らと第三・四次「新思潮」を発刊。
大正五年に(1916)に発表した「鼻」が夏目漱石に激賞され、続く「芋粥」「手巾(はんけち)」も好評を博し、新進作家としての地位を確立。
作品のほとんどが短編だが、王朝物、切支丹物、現代物、歴史物など多彩な題材を扱い、洗練された感覚と機知あふれる分析的解釈の上に小説の技術的形式的解釈の上に小説の技術的形式的完成を追及、自然主義がなお主流の大正文壇にあって新しい流派の先駆となる。
昭和二年(1927)7月24日、「ぼんやりした不安」から睡眠薬自殺。
遺稿は「歯車」「ある阿呆の一生」など。

「地獄変」
さような次第でございますから、大殿様ご一代の間には、後々までも語り草になりますようなことが、ずいぶんたくさんございました。
大饗(おおみあえ)の引出物に白馬ばかりを三〇頭、賜ったこともございましたし、長良の橋の橋柱にご寵愛の童を立てたこともございますし、それからまた華陀の術を伝えた震旦(しんたん)の僧に、御腿をお切らせになったこともございますし、-いちいち数え立てておりましては、とても際限がございません。
が、その数多いご逸事の中でも、今ではお家の重宝になっております地獄変の屏風の由来ほど、恐ろしい話はございますまい。
日ごろは物にお騒ぎにならない大殿様でさえ、あの時ばかりは、さすがにお驚きになったようでございます。
ましてやおそばに仕えていた私どもが、魂も消えるばかりに思ったのは、申し上げるまでもございません。
本文 抜粋

良秀は大殿様の傍に仕える絵師である。
絵筆をとっては良秀の右に出るものは一人もいないと言われていた。
見たところは背の低い、骨と皮ばかりにやせた、意地の悪そうな老人であった。
吝嗇で、慳貪で、恥知らずで、怠け者で強欲な癖を持ち、おうへいで、高慢で、本朝一番の絵師という事を鼻の先にぶら下げているような男だった。

その良秀には大殿様のお邸に子女房で奉公している娘がいた。
生みの親に似もつかない、愛嬌のある娘で、母親に早くに分かれたせいか、思いやりの深い年よりませた利口な生まれつきであった。
絵師の良秀も一人娘をまるで気違いのようにかわいがっていた。
子煩悩で、娘の着る物や髪飾りとか金銭には惜しげもなく整えていたという事である。

大殿様からのお達しで、地獄絵の屏風を書くようになった良秀は、それから5,6か月の間、その屏風の絵にばかりかかっていた。
あれほどの子煩悩がいざ絵を描く段になると、まるで狐にでも取りつかれたようになって屏風絵以外に事はまったく目にも入らなくなった。

弟子たちを使い、地獄絵に必要なものを段取りする。
異様な鳥に弟子を襲わせたり、裸にした弟子に鎖を巻きつけたり…。
蛇が出てくるなど尋常ではないことも平気でやってのけた。

そんなある日、良秀は突然大殿様にお目通りをする。
出来上がり寸前の屏風にどうしても必要なものがあるという。
良秀は目でも見た物でなければ描けない。
大殿様の乗っている枇榔毛(びろうげ)の車を火にかけて欲しいという。
その話を聞いた大殿様は、自分の乗っている車の一台を火にかける約束をする。
2,3日の後の夜、大殿様は約束通り車を焼くことになるが…。

その夜雪解の御所で、大殿様が車をお焼きになったことは、誰の口からともなく世上にもれましたが、それについてはずいぶんいろいろな批判をいたすものもおったようでございます。
まず第一になぜ大殿様が良秀の娘をお焼き殺しになったか、-これは、かなわぬ恋の恨みからなすったことだといううわさが、一番オ多うございました。
が、大殿様の思し召しは、全く車を焼き人を殺してまでも、屏風の画を描こうとする絵師根性のよこしまを懲らすおつもりだったに相違ございません。
現に私は、大殿様が御口ずからそうおっしゃっるのを伺ったことさえございます。
・・・・・・
それ以来あの男を悪く言うものは、少なくともお邸の中だけでは、ほとんど一人もいなくなりました。
誰でもあの屏風を見るものは、いかに日ごろ良秀を憎く思っているにせよ、不思議におごそかな心もちに打たれて、炎熱地獄の大苦難を如実に感じるからでもございましょうか。
本文 抜粋

新技巧派という名称で反自然主義の作風を持つ芥川龍之介。
リアルに描く世界ではなく、虚構によって構成される架空の世界を描く。
でもなぜかこの虚構の世界は、現実よりももっと現実に似ている様に思うことがある。
〈人生〉や〈生きる〉という事の意味を〈芸術〉や〈小説〉の世界で表現した、優れた作品を、彼は残している。
再度読み返してみて、その凄まじさと面白さを堪能する。

(J)

「地獄変」