村上 春樹
1949(昭和24)年、京都生れ。
早稲田大学文学部卒業。
’79ねん、『風の歌を聴け』でデビュー、群像新人文学賞受賞。
主著に『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞受賞)、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『ノルウェイの森』『アンダーグラウンド』、『スプートニクの恋人』『海辺のカフカ』、『アフターダーク』など。
訳本も多数。

「かえるくん、東京を救う」

片桐がアパートの部屋に戻ると、巨大な蛙が待っていた。
二本の後ろ脚で立ちあがった背丈は2メートル以上ある。
体格もいい。
身長1メートル60センチしかないやせっぽちの片桐は、その堂々とした外観に圧倒されてしまった。
「ぼくのことはかえるくんと呼んでください」と蛙はよく通る声で言った。
本文 抜粋

そんな書き出しから始まる物語。

東京の地下深く眠る『ミミズ君』が、阪神淡路大震災に触発されて、東京にも3日後に大きな地震を起そうとしているらしい。
その地震は、朝のラッシュに起こる予定で、死亡者は15万人。
ラッシュアワー時の交通機関の転覆などで多くの犠牲者がでるという。

果敢にも、かえるくんはその地震が起きるのを停めるべく、みみずくんと話し合おうとしている。
そして、片桐にその話し合いの協力を申し出る。

かえるくんは、片桐以外の人には見えない。
今度の地震を阻止したとしても誰もその功績を知る人はいない。

命の保証もない、結果がどうなるかわからないこの申し出に、不思議がりながらも片桐はおずおずとOKを出す。

「みみずくんとはいったい誰のことですか?」
と片桐はおずおずと尋ねた。
「みみずくんは地底に住んでいます。
巨大なみみずです。
腹を立てると地震を起こします。」
とかえるくんは言った。
「そしてみみずくんはひどく腹を立てています。」
みみずくんは何に対して腹を立てているんですか?」
「わかりません」とかえるくんは言った。
「みみずくんがその暗い頭の中で何を考えているか、それはだれにもわからないのです。
みみずくんの姿を見たものさえ、ほとんどいません。
彼は普段はいつも長い眠りを貪っています。
地底の闇と温もりの中で、何年も何十年もぶっつづけて眠りこけています。
当然のことながら目は退行しています。
脳味噌は眠りの中でねとねとに溶けて、なにかべつのものになってしまっています。
実際の話、彼はなにも考えていないのだと僕は推測します。
彼はただ、遠くからやってくる響きやふるえを身体に感じとり、ひとつひとつ吸収し、蓄積しているだけなのだと思います。
そしてそれらの多くは何かしらの化学作用によって、憎しみというかたちに置き換えられてます。
どうしてそうなるのかはわかりません。
ぼくには説明のつけられないことです。」
本文 抜粋

かえるくんが片桐を協力者として選んだ理由は、両親を失くした後、10代にも拘らず、二人のきょうだいたちを大学に行かせ、また、結婚の世話をしたにも関わらず、感謝されるわけでもない。

また、仕事の面でも、東京安全信用金庫の融資管理課で、焦げ付いた返済金の取立て係りである片桐は、暴力団がらみだったりして、それなりに危ない場面も潜り抜けてる。
苦労の多い仕事にも関わらず、正当な評価を会社からも受けていない。

風采もあがらない、弁も立たない、まわりから軽く見られてしまう、そんな彼の筋の通った、勇気を見込んでのことであった。

かえるくんは、地震の予定日の前日の真夜中に地下に降りる。
地下に降りる竪穴から縄梯子をつかって50メートルばかり降りると、みみずくんのいる場所にたどり着ける。

予期せぬ出来事から、当日、片桐は狙撃されて病院に入る。
と思いきや、看護婦はそうではなく路上で昏倒していて運ばれたという。
地震は起こった様子はない。
一体どうなったのかもわからない。

その日の夜中にかえるくんが病室にやってきた。
そしてみみずくんとの戦いは、想像の中で行われたと聞く。
地震はどうにか阻止できたようである。
格闘の結果疲れ切ったかえるくんは、混濁のなか言葉を失って、昏睡のなかに入っていく。

不自然な動きの後、かえるくんの体に異変が起きる。瘤が出来、その瘤が弾け、はじけた皮膚からどろりとした液が吹き出し、いやなにおいが漂う。
我慢できないほどの悪臭が狭い病室に立ち込め、ダイショウさまざまの蛆虫のようなものがうじゃうじゃと這い出てくる。
虫たちは、片桐のベッドの布団の中に潜り組んできた。
足を這いのぼり、寝間着のあいだから、耳や鼻から体内に入り、潜りこんだ。

看護婦さんが明かりを付け、部屋の中は光が溢れた。
片桐の体は水をかけられたみたいにぐっしょりと汗で濡れていた。

「いったいどんな夢だったの?」
何が夢で何が現実なのか、その境界線を見定めることはできない。
「目で見えるものがほんとうのものとは限らない」片桐は自分自身に言い聞かせるように言った。

幻想とも現実ともわからない、そんな村上春樹の世界。
短編ながら十分楽しめる内容になっている。
片桐やかえるくん・みみずくんとは何者か?
現実夢なのか?
それともそれは・・・・・・・。

(J)

「神の子どもたちはみな踊る」