唯川 恵 著
1955年金沢市生まれ。
金沢短期大学情報処理科卒業。
銀行勤務を経て84年「海色の午後」で第3回コバルト・ノベル大賞受賞。
以後、恋愛小説やエッセイを発表し、2002年『肩ごしの恋人』で直木賞受賞。

本の中に、時おりブックマーク(栞)のような切り紙が、挟みこまれたように、様々な色が散らしてある、とても美しい本である。

主人公・野口遥子は、地元銀行のコンピュータープログラマーとして勤めている。
恋人の耕平は、医大生である。
遥子は、最近この海の見えるマンションに引っ越してきた。
そしてそのマンションの近くの喫茶店でバイトをしている彼と知り合う。

海の見える部屋。
部屋の窓からは大きく海が一望できる。
デビッド・ボーイがきっかけで知り合った二人。
一緒に居ても気が休まる。

初めて会った男に自分の部屋を教えるなんて、と少し軽率過ぎる自分を反省したが、耕平には警戒心など忘れさせるような明るい雰囲気があった。
「僕、森耕平。
そこの医大の学生なんだ。」
「私は野口遥子」
その夜、店のアルバイトの帰りに、耕平は遥子の部屋を訪ねて来た。
約束通り、きっかり九時半だった。
あらかじめポスターは丸めてすぐに持って帰れるようにしておいたのだが、遥子は耕平の顔を見るとつい悪戯っぽい気持ちが浮かんで、部屋に入るように勧めた。
それはやはり、耕平が年下であることや、学生だとわかったせいに違いない。
本文 抜粋

軽いタッチで描かれる女心の世界。
この後、友人の結婚が決まり、少なからず動揺している遥子に父から見合いの話があり、迷うながらも遥子は相手の男性と出会う。

有力者の父からの援助に心から良しとは思えぬ自分のこころの揺れ。
見合いの相手で、好青年の祐介との出会いや、仕事場での上司の樋口頼子の駆け落ち、何気ない毎日の風景が軽いタッチで微妙に心も変化していく。

芸者だった母と死に別れて父からは、子どもとして認知されて生きてきた遥子だが、決して父の家には入れぬ寂しさがある。
自分で、生きていこうとする遥子だが、心のしがらみや迷いの中、やがて、耕平とも、祐介とも別れていく。

やがてここから見える海は、限られた四角い小さな海でしかなくなる。
遥子の人生もこの海と同じように、いろいろなものにさえぎられ、歪んだ小さなものになるのかもしれない。
しょせん、海の広さなど誰にも測ることが出来ないように、人生のすべてを味わうことなど無理な話なのだ。
遥子は部屋に戻って、バックの中から祐介の名刺を取り出した。
そしてふたたびベランダに出て、その名刺を小さく引き裂いた。
父で失ったものを、父で補うことは出来ない。
海に向かって思いきり放り投げると、白い破片は季節はずれの雪のように、はらはらと舞い降りて行った。

「私は海が好き。
でも海の広さが好きなんじゃない。
海の青さが好きなの」午後の日差しは海と溶け合って、やがて夕暮れ色に染まり出していた。
本文  抜粋

日々の生活は、何事もないかのごとく過ぎていく。
ただ、時間の流れに身を預ける。

そんな時間の使い方って、想像するより難しいことなのかもしれない。
女性の繊細な心を描く本である。
ひと時、大きな波、小さな波に委ねてみるのもいいかも!

(J)

「海色の午後」 umiiro no gogo