アルフォンス・デーケン 著
“ターミナル・ケアー”と称し、「死」やそれにまつわる話をする機会を持ってもう随分の月日が流れた。
何冊もの、「死」に関する本を読み、色んなことを話した。
いまでも、「死」はわからない。
あたり前だ。
そのこと(死)が何か分かるとき、私は、この世にいない。
私たちが、「死」に投影するものは何か?
そのことの答えは、確かな手ごたえともに、今私の中にある。
『死について』
中世のヨーロッパでは、死は学ぶべき芸術のひとつでした。
死の芸術(ラテン語でars moriendi[ アルス・モリエンディ])、英語でart of dying)といって、人々はよく、たくさんの 絵や本から死について学びました。
20世紀に入ると、ヨーロッパでも日本と同じように、死はだんだんタブーになりました。
しかし死について学ぶのは決して暗いニヒルなことではないのです。
死という未知の世界を恐れるのは人間として自然な感情です。
しかしながら、死を前にして多くの人は、過剰なまでの死に対する恐怖や不安を抱いています。
死への恐怖は9つのタイプに分かれます。
- 苦痛への恐怖
- 孤独への恐怖
- 不愉快な体験への恐怖。つまり尊厳を失うことの恐れ
- 家族や社会の負担になることの恐れー日本では
特に家族に迷惑をかけたくないという人が多いです。 - 未知なるものを前にしての不安
ー死については体験的に教えてくれる人はいません。
一方的に受け身の対応を強いられることになります。 - 人生に対する不安と結びついた死への不安
ー社会的な不適応や挫折を重ねると、それからの人生を肯定できなくなり、自分の環境に恨みや恐れをもつようになる人がいます。
こうした人は、死に対しても否定的な感情を抱くことが多いようです。 - 人生を不完全なまま終えることへの不安ー
自分のライフワークが、未完成のままに終わるという心残りに苦しみます。
自分の過去を何もかも否定的に考えすぎる傾向があります。 - 自己消滅への不安ー人間にとって、自己が全面的に喪失するのではないかという不安は、生物としての自己保存本能の一部をなす、自然な反応といえるでしょう。
- 死後の審判や罰に対する不安ー死後裁かれるのではないかと、罰を恐れている人もいます。
本文抜粋
なるほどと頷ける文章です。
さすが、タナトロジーの大御所のデーケンさんの言葉。『ユーモアが果たす役割』
もともとユーモアという言葉は、ラテン語の「液体」を表わすフモールが語源で、人体の中の液体、つまり体液(フモーレスーフモーレの複数形)を意味します。
本来は医学的な概念です。
(中略)
ユーモアは生まれつきの才能のように誤解する人がいますが、真のユーモアは度重なる失敗を通じて生まれるものです。
自分の失敗や弱点を客観視して、おおらかに自分自身を笑う、成熟した人間にとって、笑いの対象は自分なのです。
ユーモアは単なるジョークとは異なります。
ジョークは頭のレベルで、言葉の上手な使い方やテクニックです。
相手を傷つける言葉はユーモアではありません。
人間には誰でもやむをえない間違いや失敗があるものです。
そういう苦い体験や自分の失敗について周囲の人たちと一緒に笑い飛ばすことができれば、より良い人間関係を築くことができるでしょう。
本文抜粋
老いていくことのメリットに
自分の欠点や失敗に寛容になれることかな?
ただし、反省は忘れずに!
「あなたの人生を愛するノート」