カイエ・ソバージュ1 中沢 新一
神話は、「感覚の論理」を駆使して、宇宙の中での人間の生の意味を語りだそうとする。
人類の大胆な哲学行為の始まりを示すもの。
本文 抜粋
ユング心理学は、神話性の中に、人間の感覚部分の深部でのつながりがあるという。
神話は、最古の哲学(レビィ・ストロースによる)であり、また、「生」と「死」を繋ぐものでもある。
植物と石、硬いものと柔らかいもののように、二元論の対立で思考し、「生」と「死」の淵を行き来する世界でもある。
また、快楽原則の世界でもあり、抽象化された、また欲望の世界でもある。
「シンデレラ物語」は現在わかっているだけでも450を超えているらしい。
多くのバージョンは、版・異文を持つ。神話も同様に時の流れの中で、変形し続けているようだ。
そして、本文中に、「神話としてのシンデレラ」が取り上げられている。
シャルル・ペレーが、民間に伝えられている民話を、ルイ王の宮廷にふさわしいように書き直したのが、私たちが小さい頃から、“シンデレラ物語”として親しんできた話。この「シンデレラ物語」は、社会的機能としての目的があるという。
グリム童話の「灰かぶり少女」は、ドイツでつたえられてきた民話を採取し、文学的にソフィティケーションするのを最小限にとどめ、原形に近い古さをもつという。
それ以外に、中国のシンデレラ「葉限」。ポルトガルのシンデレラ「カマド猫」や、ミクマク(Mi’kmaq)インディアンがシンデレラの抗するシンデレラを創造している。
この「見えない人(Invisible man)」1884年の話は、“ペロー版シンデレラの「見られること」「見ること」「見せること」への偏執、欲望の眼を射止めること全神経が注がれている”とし、
この「見える」「見せる」ことをとことん否定して、精神性の高さを強調している。「見えない人」は、超自然の領域をも自由にする人物としてのシンデレラが描かれている。
ユング思想は、「集合的無意識」と「元型」がある。
「元型」は、神話・民話などから、様々な要素を引き出し、それをプロトタイプ(原型)としている。
※「元型」とは、意識の手がまったく加わっていないような心の内容。
つまり、こころがそのまま現われてきたものだけを指す。
アニマ・アニマス・ペルソナ・トリックスター・シャドー・老賢者・マンダラなど。
神話の思考は、具体性の世界と深く結び付けられているし、また、深く結びついていなければならない。
私たちの五感は、この合理化の進んだ現代世界で、高レベルに合理化されているという。
おびただしいイメージと情報の集積されている世界で、五感はイメージ化され、そのイメージが、コンピューターによってかなり自在に操作される。
だが、そうしてつくられたイメージは、すでに合理化された自然しか再現できず、大きな矛盾を抱え込んでいるとも言う。
神話は、バーチャルな論理の領域のものとして、語ることもできるが、その「様式」だけをとることで、本来の神話としての「「内容」がなくなってる。「感覚の論理」である神話は、感覚の中に具体性を見つけていくものであり、人間の自分とのつながりでもある。
(J)