内田 春菊 (うちだ しゅんぎく)

長崎県生まれ。
1984年、四コマ漫画「シーラカンスぶれいん」で漫画作家デビュー。
代表作に「南くんの恋人」「水物語」「僕は月のように」「クマグス」など。
小説に「ファザーファッカー」(直木賞候補)「キオミ」(芥川賞候補)などがある。

妊娠三か月の定期検診。
超音波写真には、丸まった手足も見てとれる、赤ん坊の影がはっきりと映っていた。
「ねえ、見て見て。
先月はただの丸い影だったのに、もうすっかり人間だよ。
手も足も見えるよ。
ねえなんか可愛くない?」
晋はしばらくそのプリントをながめていた。
「この頭の形がなんか晋に似てたりして。ウフフッ」晋はにっこり笑って言った。
「これ写真たてに入れて会社の机に置いちゃおうかなあ」
「やった!親ばか!」そんな言葉をつかうのも心が弾んだ。
そして翌日、本当に会社にその写真を持って行ってしまった。
「晋ったら。晋ったら。
やっぱりほんとは嬉しいのね」
その日は心なしかつわりも軽い気がした。
電話の鳴る音も耳に優しい。
ママかしら、ううん、もしかして晋かも?
「もしもし―?」どちらでもなかった。
信じられないほど長い沈黙のあと、電話は切れた。

本文 抜粋

晋は父親になることにまんざらでもない様子だった。
父親になるために胸板を厚くすると言ってエキスパンダ―を買ってきたりしていた。
腑には落ちなかったが、晋は張り切っていた。
いろんなタレントや俳優が父親になった年齢をことあるごとに気にしていた。

晋には昔からこんなところがあった。
ちょっと髪を切りに行くだけなのに、2週間に一度美容院に行くのに、そのたびに変化を加えたいらしい。
「オレさあ、今の美容師に出会うまですんげえ苦労重ねたて来たんだよね」
何度も聞いた話にすっかり暗記してしまってて晋がどうしてこの話にそれほどの情熱をかたむけるのか、理解できないキオミだった。

会社からの電話で、神戸に出張と言っていた晋の嘘はばれた。
会社の友人の近藤が家に電話をかけてきたのだ。
あの女に決まっている。
近藤を問い詰めると、すぐに名前はばれた。
林という女だった。

決定的となったその電話のあとしばらく、あたしはただぼんやりと座り込んでいた。
いまさら泣こうにもきっかけがつかめない。
だいいち晋がいない。
晋の前で泣かなきゃ何にもならない。
なのに晋は、出張と嘘を言ってどこかに行ってしまった。
堕ろすことを考えるのさえ恐ろしい妊娠四カ月の体をかかえて、あたしは「オレ子ども大好きなんだよね。
子ども欲しいから結婚するんだからね。
そのヘンちゃんと考えててくれないと困るよオレ」という晋の言葉を思い出していた。

本文 抜粋

近藤を家呼んで、社内の写真で相手の女の確認する。
あの超音波の写真もこの女に見せたのに違いない。
晋と付き合っていた当時のことを思いだし、昔から晋には奇妙な癖があったのを思い出す。

旅行から帰って来た晋に、最近無言電話があることと、近藤からの間違い電話がかかったことを伝える。

その後、近藤から二人の様々な報告が入る。
晋との離婚を考えるが、見方になると思っていたママは、離婚は考えるようにと言われた。

こうなれば味方は近藤だけだった。
だって近藤とキオミは……。

ナルシスティックな夫を持ったキオミは、様々な人生の工夫の中で生きる。

大胆かつコケティッシュな話に、感心するような唖然とするような思いを持つ。
面白おかしく、かつ楽しみながら、人生を生きることを、悩めるかもしれない。
ふとそんな気がした。

(J)
「キオミ」