山本 文緒 (やまもと ふみお)
1962年神奈川生まれ。
OL生活を経て、作家活動に入る。
著書に「あなたには帰る家がある」「群青の夜の羽毛布」「パイナップルの彼方」「ブルーもしくはブルー」他。
『椿』という名前は、祖母が付けた。
小さい頃は古臭い名前だと嫌っていた。
その名づけ親である祖母に会ったのは、親戚の葬式で私の15歳の冬だった。
小さな古ぼけた寺で行われたその葬式で、変わり者と言われて、祖母に会ったことはなかった椿だったが、喪服を着た祖母は、美しい人だった。
もちろん祖母も年をとっていた。
けれど祖母の美しさは、そんなことで損なわれる種類のものではなかった。
ちょっと触ったらすぱっと手が切れてしまうような、刃物のような美しさだった。
椿は、その美しさに思わず見とれてしまった。
23歳の桐嶋椿はコンパニオンの派遣会社に勤めている。
椿は祖母に似て美しかった。
中学生のころから、女友達は居なかった。
同じコンパニオンの雛子はそんな椿には唯一の女友達だった。
同性と仲よくやっていくため、思ってもいない優しい言葉をかけたり、〝椿ちゃん可愛い!”とか言われたら、〝私なんか成績も運動神経も悪いのよ”と卑下したりしていたが、そんなことはやめてしまった。
美人を鼻にかけてるとか、威張ったババァとか言われたが、同性に媚びるのをやめてしまって無視し続けた。
群贅は中学の先輩だった。
椿が始めて付き合った男性でもあった。
群贅は爪の短く切り揃えられていて歯もピカピカ。
耳にピアスもないし嫌味な高級腕時計もしてない。
仕事も公務員。
職場の市役所に行けば、清潔感のある真面目な青年で通るし、ディスコに行けば金髪も茶髪もきゃあきゃあ言って寄ってくる。
彼はその場その場で
フェロモンを出したり引っ込めたりできる器用な男だった。
椿と群贅は、人生を思い通りに生きていこうとしていた。
そんなある日、祖母と父親の乗っていた車が事故に遭う。
病院に入院した祖母を椿は見舞う。
少しの入院と思っていたのが、夜中に階段で落ちたり、ぼけがでていると病院から言われて、いつ退院できるか分からない状態になる。
『あの祖母が呆けるわけがない』と思っていた椿だったが、記憶は不確かになり、あの美しい白髪は切られ、椿の記憶にある祖母ではなくなっていく。
コンパニオンの仕事にも段々と陰りも見え、以前ほど男性にモテなくなってきていた。
美しさの唯一心の支えにもなっていた祖母の変わりようにも椿はイライラと不安を覚え始めた。
その上、父の仕事はうまくいかず家は破産。
これからは一人で生活していかなければならない。
椿は『美しさ』で生きていこうとしていた。
男から男へと、奔放に乗り換えていた椿は、美しさのモデルともいえる祖母の入院と、そして入院先の看護婦で中学の同級生で、『大魔神』という仇名が付けられていた魚住との出会いで危機状態になる。
こうなれば結婚と思い、祖母の入院先の医者である中原先生に狙いを定めて、彼に接近するが、今までの男と違い要領が分からない。
その上、魚住もどうやら中原先生が好きな様子である。
そして、群贅の身の上に〝エイズ”という考えもしなかったことが起こる。
美貌を武器に椿は怖いもの知らずに生きてきた。
何もかもが思い通りになってきた。
思い通りになるはずだった。
しかし、少しづつ何かの歯車が狂いだす。
強気で弱気のものを無視し、美貌で何もかもやり通すはずだった椿は、悩みと傷つきを経験し、ナイーブな人間関係の中で本当に美しさを考え始める。
分かりやすい文章のなかに、ふと心が留まる。
椿の心の迷いに読む者の心は迷う。
思い通りに生きてきた椿と群贅は、どういうことになるのだろうか?
読み終わってもこれという結論はないけど、心は何故か不思議とすっきりしているのに思わず感心!!って所かな。
(J)