レフ・ニコラエヴィッチ・トルストイ

ロシアを代表する作家の一人である。
1828年ロシア生まれ。
トルストイ伯爵家の四男として生まれる。
2歳で母マリア・ニコラエヴィッチを亡くし、9歳で父ニコライ・イリイッチ死亡。
青年時代には兄を二人亡くし、結婚後も子供を亡くす。
23歳ごろから小説を書き始め、『幼年時代』を発表し好評を博す。
20歳代の放蕩生活。
結婚とともに放蕩は止む。
1910年秋に住み慣れた家を出て、旅先の駅で肺炎にかかり、倒れて死ぬ。
『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『イワンの馬鹿』などの作品がある。

それはキリストの誕生後百年を経た、ローマ皇帝トラヤヌスの治世であった。
まだキリストの弟子の弟子たちが生きている時代のことで、キリスト教徒は使徒行伝に記されてある主の掟を固く守っていた。
『信者はみな心を一にし思いを一にして、だれ一人その持ち物をおのが物ということなく、すべてこれをともに持てり。
使徒たち大いなる力をもて主イエスのよみがえりしことをあかし、彼らみな大なる恩をこうむれり。
そのうちに一人も乏しき者なかりき。
そは地所あるいは家を持てる者は、それを売りて、その売りしところの価を持ちきたり、使徒たちの足下に置く。
これをおのおのの用に従いて分け与えしがゆえなり。』 (使徒行伝第四章三二-三五)

本文 抜粋

ユヴェナリウスは、性来かしこい人間で、ネロがローマでしたいろいろな事を聞いていたし、多くの皇帝が次から次へと亡びてゆくのも見てきた。
皇帝の権力やローマの宗教には何も神聖なものはなかった。
賢い人間の常として、この権力に逆らうのは損だ、自分の安静のためには、規定の秩序に従わなくてはならにということも心得ていたが、生活のばかばかしを、自分の無教育のせいにしていた。
彼には一人ユリウスという息子だけが残った。

ユリウスが満15歳になった時、彼は同じ町に住む哲学者の所へ修行に出した。
その時、パンフィリウスという友達をつけた。
両方とも同じ年で、両方とも美しい青年で、しかも親友であった。
二人は熱心に勉強した。

卒業の1年前に、パンフィリウスはやもめ暮らしをしている母を助けるために、
学問を中途でやめなければならないと言った。

2年たち、ユリウスは業を終えた。
その時までパンフィリウスには一度も会わなかった。
ある時往来で行きあったので、いろいろ聞きはじめた。
パンフィリウスはやはり母と二人同じ町に住んでいると言った。
そして共同生活をしていてキリスト教徒だという。
必要とするものは互いに分け合い暮らしているという。
ユリウスは、世間で聞くいろいろなキリスト教徒の話を持ち出して聞くが、それに対してパンフィリウスは答える。
信仰とはこの世の悪と死から救われるには、キリストの教えによって生活するしかないという。

それから2年たち、ユリウスの生活は愉快に流れているように思っていたが、いつも同じような愉快を味わうためには、絶えず娯楽の手段を強めてゆかねばならなかった。
ユリウスの父親は金持ちだったので、一人息子を愛し誇りにしていた。
富裕な青年の例にもれず、ユリウスは無為と贅沢と放恣な快楽のうちに流れて行った。
お金が足らなくなると父に請求した。

ある時、いつももらうより余分のお金を父に請求した。
しかしその時、父は息子に小言を言った。
お金は瞬く間になくなり、ユリウスはふとしたことから人を殺してしまう。
父親の運動で放免されるが、多額のお金を必要とした。
そんなユリウスを父は叩き、腹を立てたユリウスは自分に甘い母に泣きつく。
誰が悪いのか分からない母親は、父親に息子を許すように頼むが、放蕩生活を捨てて結婚するように言われる。

父親の言う結婚を嫌がったユリウスは、ふとパンフィリウスのことを思いだす。
彼は家を出て彼の元へと行くことを決める。
その道の途中で、ユリウスは賢者に会う。
そしてその賢者の言うことに従い、自分を省みて、父親の勧める結婚で人生をやり直すことを決める。

それから10年がすぎた。
父が死に家の商売をすべて引き受け、公職にもつく。
分別もあるうえに弁才もあるユリウスは、次第に周りを抜き市の要職に就くことも可能に思われた。
かれには3人の子どもが出来た。
そして妻の関心は子供に移る。

あるとき妻の残した写本の中にある聖書の言葉に目が行く。
ユリウスは、自分の人生に疑問を持ち、パンフィリウスの元でキリスト教徒になろうとするが、またもや今の生活に戻るということを繰り返す。

12年の時が流れ、ユリウスの妻が亡くなる。
息子の息子の特に2人目が、若き頃のユリウスのように、放蕩生活をする。
かつてのユリウスと父のように、
激しい闘争が始まる。
息子は父親が死ぬことを望み家の財産を使う。

そしてやっとのことで、ユリウスはパンフィリウスの元に行く。
そして白髪の老人とともに、ただ労働しそして静かに死ぬ。

作者であるトルストイの生活とも重なる作品である。
トルストイの80歳を過ぎて家を出た。
大作家と言われながらも、その孤独はどんなものだったのだろう。

トルストイ自身は、この『光あるうちに光の中を歩め』と言う作品を、自身の全集に入れることを拒んでいたという。
芸術としての完成度が問題だったらしい。
編者チェルトコフはその意志をつがなかったらしい。

キリスト教の教えと、賢者と言われる者の論争とのとれる言葉が、作品に何度か出てくる。
両者とも〝成程”と思うことが語られていく。
愛を説き貧しくとも共にあることを説くパンフィリウスか、今の生活の中での責任と、人間として当然と思われる欲望を肯定するか、どっちの生き様を選んでいくんだろうか。
さてどっち?

(J)

「光あるうちに光の中を歩め」