千早 茜 ちはや あかね
1979年北海道生まれ。
立命館大学文学部卒業。
小学校時代の大半をアフリカのザンビアで過ごす。
現在、京都府在住。
2008年『魚神』(「魚」改題)で第21回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。
同作で、第37回泉鏡花文学賞受賞。
他の著書に、『おとぎのかけら 新釈西洋童話集』『からまる』『あやかし草子 みやこのおはなし』がある。
かつて一大遊郭が栄えた島。
本土から隔離されたその島には独自の文化があった。
当時本土では電気があったが、島には蝋燭での生活があった。
島に人間の大半は一生島から出ることさえ無い。
そして、ヘドロの臭いに充ち溢れた島であり、この島の掟を受け入れて暮らす以外に生きる道などなかった。
もとより、
生きることを望んで生まれたわけでもなく、受け入れようと涙を呑んだわけでもなく、私はただ気がつけばすでに存在しており、同時に全ての状況を呑み込んでしまっていただけのことだった。
何も考えず、何も望まず、何も感じてはいなかった。
それらの方法を知らなかった。
傍らには私とそっくり同じ人形のような空っぽの男の子がいた。
彼の名はスケキオといった。
しかし、それも彼が名乗ったわけではなく、気がつけば私がそう呼んでいた。
彼は私を白亜と呼んだ。
本文 抜粋
白亜とスケキオは捨て子だった。
二人をひらった婆は、とび抜けて美しいこの二人をいずれは廓に売るつもりで拾った。
二人は兄妹かどうかも分からなかった。
お互いの存在からしか自分がわからない。
相手の顔を見て感情を知り、相手の中に自分を見た。
白亜は人と会うのがけだるかった。
部屋で一人で過ごすことを好んだ。
スケキオは、残忍なところのある子供だった。
子どもの持つ残忍さは無知、無邪気さゆえのもの考えられるが、スケキオのものは冴えきった意識的なものだった。
その残忍さには方向性があり、明確な意図や興味があった。
そして、二人は島の子どもとは馴染まず、二人で居ることを好んだ。
白亜と言う名は、この島に残る伝説の伝説の遊女と同じ名だった。
その伝説の遊女に恋をした雷魚がいて、埋没する島から、白亜を助けたという。
白亜とスケキオは、婆の言う通りに動く。
スケキオは文句も言わず、いつも黙々と働いていた。
が、外に行くたびに生傷を作って帰って来た。
村の子どもはかれの整った顔や肌の白さが、恰好の標的になったようだ。
ある日、何時もの時間になっても帰ってこないスケキオを探し、
白亜は、村の山の中の荒れ果てた祠へ行く。
そこにスケキオは閉じ込められていた。
そしてその祠には書籍がたくさんあり、その本からスケキオは薬草を作る方法を見つけ出し、色々なものから良く効く薬を作りようになる。
やがて二人は大きくなり、離れ離れに売られてしまう。
月日が流れ、白亜は島隋一の遊女となるが、スケキオとは会うことはなかった。
しかし、白亜はどこかでスケキオの気配を感じていた。
遊女達は自分の部屋に香を焚き、香油を髪や肌に染み込ませた。
白亜がこの廓に売られてすぐに、婆からだといって風呂敷が届けられ、中には香と香油、匂い袋、丸薬がどっさり入っていた。
その香の香りは素晴らしく、体からも妙香を発する。
もうすぐ無くなると思う頃にまた届けられるその品物は、たぶん間違いなくスケキオからのものだった。
お互いに強く引き合うゆえに、拒絶を恐れて近づけなくなった姉と弟。
島の雷魚伝説と交錯しながら、物語は進んで行く。
残忍なまでに自分の目的を進めていくスケキオの行動に、やがて白亜も巻き込まれていくことになる。
島を揺るがす騒ぎとなる、スケキオと白亜の物語は、独特の美しくも妖しい文体で書かれいる。
スケキオに恋をし利用される松笠という遊女や、その彼を追う蓮沼というやくざ者など、一癖ある人々の登場で、混沌とする物語は、静かな結末へと向かう。