小川 洋子 (おがわ ようこ)
1962年、岡山県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業。88年、「揚羽蝶が壊れる時」で第7回海燕新人文学賞、91年「妊娠カレンダー」で第104回芥川賞を受賞。2004年『博士の愛した数式』が第55回読売文学賞、第1回本屋大賞を受賞。同年、『ブラフマンの埋葬』で第32回泉鏡花文学賞を受賞。2006年、『ミーナの行進』で第42回谷崎潤郎賞を受賞。他の著書に『貴婦人Aの蘇生』『原稿零枚日記』『人質の朗読会』などがある。
姉が病院に行った。
彼女は二階堂先生の所以外、ほとんど病院にかかったことがないので、
出かける前はかなり不安がっていた。
「どんな洋服を着ていけばいいのか、全然わからないわ」とか、
「初対面の医者の前で、うまく喋れるかしら」などと愚痴々々言っているうちに、
とうとう年末最後の診察日になってしまった。
今朝になっても、「基礎体温のグラフは、いったい何か月分くらい見せたらいいのかしらねえ」
と言いながらぼんやりわたしを見上げ、朝食の残ったテーブルからなかなか立とうとしなかった。
本文 抜粋
几帳面に毎朝体温を計っていながら、
グラフ用紙の整理だけはいい加減な姉の排卵日や低体温期を、
私が、「この日が姉の排卵日だったのね」などと思うこともやはり奇妙なことだ。
病院で妊娠を告げられて正式に妊婦に姉はなった。
そして、お父さんとお母さんが続けざまに病気で死んで、
義兄がこの家に来て三人で暮らすようになって季節の節目も薄らぎ、
のんびりとお正月を過ごす。
妊娠7週と3日目に姉はついにつわりが始まった。
「このスプーン、変なにおいがしない?」「砂のにおいがするわ」
ひどくなる姉のつわりで何も食べられない。
姉はどんどん痩せていく。
家中の料理の本を引っ張り出して見せるがだめだった。
姉と一緒に義兄の食欲までおかしくなる。
「ひどいにおいね。何とかしてよ」と、料理をする私に姉は言う。
家の中の匂いに敏感になる姉に、私は換気扇を回し窓を開けた。
そして、ひどくなるつわりに私は庭でご飯を作って食べる。
ござの上に食器を置き、夜の闇とともにシチューを吸い込む。
つわりが突然来たように終わりも突然訪れた。
バイト先でもらったグレープフルーツでジャムを作る。
姉はそのジャムを器に移す前に全部平らげてしまう。
『危険な輸入食品!』『出荷までに三種類の毒薬に漬けられるグレープフルーツ』
『防カビ剤PWHには強力な発癌性』
ジャムを作っては姉が全部平らげる。姉はどんどん太っていく。
このジャムを姉が食べて胎児に影響はないのだろうか。
鍋の底で、怯えるように微かに震えるジャムを見ながら、私は思った。
姉の妊娠をきっかけとした微妙な心理やさまざまなゆらぎを描く作品である。
心の中でさまざまな言葉が繰り広げられるが、わたしは姉には何も言わない。
そしてただ静かに日常は流れていく。
自分が生きるというただそれだけのことに、
何か確固たるものが持てないままに妊娠し、また新しい生命を生み出す。
そして、子供を産み育てること自体が実感を持てないモノとして描かれている。
姉に毒の染まったジャムを作る妹は、
けっして悪意だけとはいえない、ましてや善意とは言えない心のゆらぎが見え隠れする。
姉をいたわるやさしさと、
毒だと知りながらも輸入されるそれを食べる以外方法のない生活は、
今を生きる私たちの生活の中にある実感と、
共通する何かがあるのかもしれない。
(J)