hon20141226ライナー・マリア・リルケ  Rainer Maria Rilke

オーストリアの詩人・作家
1875年12月4日~1926年12月29日

作家が一生かかってたった一つしか書けぬような作品があるという。
『マルテの手記』は、まさにそのような作品だと言う。
作者リルケは、新境地を見出すために、この『マルテの手記』を書いたというが、書き終わって反対に何も書くことが無くなったとも言われている。
デンマークの作家で、才能がありながらも早く亡くなった作家オプストフェルダーをモデルにして、パリの極貧の生活の中、絶望や生と死・孤独や愛、
についての内面の思いを純粋な視点で書かれている。

空想ではなくただ見ること。
現実を見る。
パリの日常でマルテが見たものは、どんなものだったのだろう。

外部はなにもかもすっかり変わってしまったのだ。
しかし、どう変わってしまったのか、僕はそれを言うことができない。
いったい、では、内部はどうなったのか。
神の前で、僕たちはどう変わったのか。
心の中で、神という観客の前で、僕たちはもう演技と行為をやめてしまったのだろうか。
僕たちはもはや誰一人、自分の配役を知らないのは確かだ。
僕たちは鏡を捜して、化粧を落し、虚偽を洗い、真実のままでいようとする。
しかしどこかまだ、
やはり僕たちが気づかぬ一つ二つの粉飾が残っているらしい。
僕たちの眉には一すじ引いた墨の跡が残っているのかもしれぬ。
僕たちは自分の唇がいくらかへの字に結ばれているのを忘れているのかもしれぬ。
だのに、僕たちは平気な顔で歩いているのだ。
僕たちは真実な存在でもなければ俳優でもない。
結局、僕たちは中途はんぱな笑いぐさでしかないのだ。

本文 抜粋

本文中に、聖書の〝放蕩息子”の話が出て来る。

誰からも愛された息子は、誰からも愛されたがゆえにその愛を苦痛に思う。
誕生日に家を出るが、愛される苦痛を知る息子は秘かに、〝誰も愛さない”と心に誓う。
愛されることの苦痛を知ったがために、反対に、愛される重みを人に与えたくないと思った。

彼は数年の間、
生きることに精一杯の生活を送ることになる。

そして、再びふるさとの家に帰った彼は、年を取った人々の顔や子どもから大人になった人の顔を見ることになる。
そして、皆からの愛情と期待の表情を見た彼は、まだここに愛が残っていることを感じ、人びとの足もとに身を伏せて、僕を愛してはいけないと涙を流す。
人びとはそれぞれ勝手な解釈で、彼の気違いじみた行為を許した。
そして彼は、人びとの愛に、めいめいの虚栄を感じていくことになる。
彼がどのような人間であるか、人々はちっとも知らなかったのである。

絶望に見えるものの中に希望を見出し、真実を見ようとして虚偽を知る。
生きることってそんなことかもしれないのかな。

(J)
「マルテの手記」