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伊藤 計劃 PROJECT ITOU

1974年東京都生まれ。武蔵野美術大学卒。2007年、本書で作家デビュー。「ベストSF2007」「ゼロ年代ベストSF」第1位に輝いた。2008年、人気ゲームのノベライズ『メタルギア  ソリッド ガンズ  オブ ザ パオリオット』に続き、オリジナル長編第2作となる、『ハーモニー』を刊行。同書は第30回日本SF大賞のほか、「ベストSF2009」第1位、第40回星雲賞日本長編部門を受賞した。2009年没。

アメリカ9・11以降“テロとの戦い”は本格的に始まり、転換期を迎えていた。先進国は徹底した管理体制を敷いたが、後進諸国では内戦や大規模虐殺が増加していた。

米国大尉クラヴィス・シェパードは、銃や弾丸でたくさんの人間を暗殺してきた。いまや暗殺はおっぴらとは言わないまでも、選択肢としてじゅうぶん考慮に値するものとして観直されるようになっている。テロとの戦い、人道上の必要、いろいろな理由がつけられて、封じてきた闇をすこしづつこじ開けていった。
同僚には刃物を専門に請け負うプロフェッショナルも大勢いる。背後から音もなく接近し、喉笛を切り裂き、次いで両腕の腱を絶ち、内腿の大動脈を切り裂いて、最後に心臓に突き立てる。クラヴィスはそのやり方を好まない。銃や弾丸で実行する。

クラヴィスは夢を見る。死んだ母親が出てくる夢だ。『ぼくの母親を殺したのはぼくのことばだ。』真っ白な病院の、真っ白な静寂のなかで、医者は彼に延命治療の終了の承認を聞き、彼は器具の取り外しをすると医者に答えた。軍人で、特殊部隊員で、殺し屋だから、死者はたくさん見てきた。普通に人間が一生の間に見ることのできる何倍もの死者を見てしまった。夢に中の死者の国の母親はクラヴィスに話しかける。夢の死者の国にはいくつかのバリエーションがあった。さまざまに欠損した死者たちが果てのない荒野を列をなしてゆるやかに歩むとか、果てしなく広がる墓地で、墓石のうえにその主たちが座って退屈しているとかである。彼は、それが自分の心の中の声だと知ってはいたのだが・・・。

クラヴィスたち特殊部隊は、脳医学的処置とカウンセリングで、自分の感情や論理を戦闘用にコンフィグする。トラウマにならないようにするためだ。不確定要素が発生した際に即応性を高める一環として対象の人物像を組み立てることもする。そして痛みを感じないが痛みを自覚できるようにも調整する。

後進諸国の虐殺の急激な増加や混乱の陰に常に一人の謎の男の存在があった。その名はジョン・ポール。そのジョン・ポールを追ってクラヴィスはチェコへと向かう。そこにはジョンの恋人ルツィア・シェクロウプがいる。ルツィアは外国人にチェコ語を教えることで生計を立てている。広告代理店の人間として赴任してきたという設定のもと、クラヴィスはルツィアに近づく。さまざまな話をする中で、クラヴィスは次第に彼女に惹かれていくようになる。

強烈な言葉やとんでもない表現で綴られる「虐殺器官」は、その強烈さと裏腹にナイーブで情緒的な心の世界を浮き彫りにしていく。自分たちの仕事として割り切ったはずの暗殺だったが、感情が調整されているはずの人びとの心の中にいろいろな形で忍び寄る。人を殺すことへの疑問、つまり責任感と罪悪感として、さまざまな形で心に忍び寄る。どうなるのだろうかとハラハラしながら読み進むと、そのナイーブさが痛々しいほど迫ってくる。フィクションの世界と思いながらも、現実の今の世界を投影し、世界の現状の浮彫のようなものを感じる。作者の一筋通ったきっぱりとした考え方が、はっきりと作品の中に表われていて、恐ろしくもありながらも唸るようないとおしさを感じた。秀作である。

(J)

 

「虐殺器官」