ブルガーコフ 作 /水野忠夫 訳
ミハイル・ブルガーコフ 1891~1940
キエフの神学校教授の家に生まれる。1916年にキエフ大学医学部を卒業後、スモレンクス県に医者として赴任するが18年キエフに開業医として戻る。ロシア革命後の内乱の続くキエフで軍医として動員されたあと短編を書き、医師免許と医学博士の称号を捨てて文学・演劇活動を始める。革命委員会の文学部会と演劇部会の責任者になり作品を発表したりするが、革命委員会と相いれずモスクワに出る。32歳で長編小説『白衛軍』を執筆し、第1部・第2部は掲載されるが、同誌が廃刊になり全編は発表できなかった。『悪魔物語』『運命の卵』『犬の心臓』を書くが発禁処分となる。モスクワ芸術座のパーヴェルの勧めで戯曲『トゥルビン家の日々』で戯曲を書き初演で成功を収め、つぎつぎと戯曲を書くがいずれも間もなく上演中止となる。『若き医師の手記』が生前最後の作品とであった。失意のうちに家に引きこもり『巨匠とマルガリータ』を書き失明ののち亡くなる。
暑い春の日の夕暮どき、
モスクワのパトリアルシエ池のほとりに二人の男がいた。
文芸総合誌の編集長でモスクワでも最大の作家組織のひとつ〈マスソリト〉である
モスクワ作家協会幹部会議長ミハイル・ベルリオーズであり、
連れの若い男は、
〈宿なし〉というペンネームで詩を書いているイワン・ポヌイリョフであった。
2人はそこで見知らぬ黒魔術の教授と名乗る男に出会う。
その男は未来を予告し、
ベルリオーズはその予告通り列車に首をはねられることになる。
ベルリオーズが死ぬところを目撃したイワンは、
その後精神病院に入院することになるがそれもまた予言どおりの出来事だった。
自らを教授と名乗るヴォランドの正体は悪魔だ。
悪魔がモスクワに現われた。
ヴォランドに従者には、
言葉をしゃべる大きな黒猫のベゲモートやコルヴィエフやアザゼットがいる。
ベルリオーズの事件の後、
モスクワにはだれもが経験したことがなく説明のしようのないようなさまざまなことが起きる。
“人が消える。” “下着姿の人が街をうろつく。” “ルーブル札が降り注ぐ”
理性をなくした人々が狂乱し、悪魔の舞踏会が華々しく行われる。
永遠の愛を誓った巨匠とマルガリータは、
悪魔との出会いで愛を永遠のものにする。
忘却の闇のなかからブルガーコフが復活し、
『巨匠とマルガリータ』は世界中で翻訳されるようになった。
スターリンが死去し生前発表されることのなかった作品が、
再び人々の目に見えるものになった。
幻想的で狂乱的でありながらもその神髄にある心のきらめきのようなものが作品に限りなく込められていて、
作品を読むものを物語に中へと引き込んでいく。
歴史に翻弄されながらも文学の力を信じたブルガーコフは、
死んでから世界中にその名を轟かせることになる。
(J)