ミラン・クンデラ 作 西永良成 訳
ミラン・クンデラ
1929年4月1日生れ。チェコスロバキア・ブルノ生まれ。父親ルドウィークは著名なピアニスト。プラハの音楽大学(AMU)を卒業。1963年『微笑みを誘う愛の物語で』で作家活動に入る。『冗談』でチェコスロバキアを代表する作家となる。非スターリン化の中で言論・表現の自由を求めて、政治にも積極的に関わるようになる。「プラハの春」でチェコ作家同盟の書記長として革命運動に参加。次第に作家としての足場を失い、発禁処分になる。1975年、フランスに出国。チェコスロバキア国籍を剥奪され、その後フランス国籍を取得し、フランス語で執筆活動をする。1984年『耐えられない存在の軽さ』を執筆し、世界的ベストセラーになる。
チェコ共産党の無血クーデターの翌年のことだった。絵葉書に冗談で書いた文章が、ルドヴィークの人生を狂わせた。
ルドウィークは前途有望な青年だった。その当時付き合っていたマルケータはユーモアがわからなかった。またマルケータにはユーモアはそぐわなかった。彼女に対する態度が無遠慮でからかい好きになり、皮肉っぽく気取った態度になった。しかし、ひとりになったときには、まるで中学生みたいにへりくだって、心が乱れた。当時の大学は学生メンバーが頻繁に会合を持ち、「学習サークル」が組織されており、ルドウィークは幹部だった。「個人主義の残滓」をとどめないように指摘する。「個人主義の残滓」や「女性関係に問題がある」といったことが破滅へのきっかけになりえた。そのようなきっかけはまるで奇怪な宿命のようにめいめいの考査表に潜んできたのだった。仲間たちはマルケータに革命運動の戦略や戦術を認識させ、強化させる必要があるとみなし、2週間の党の研修合宿に参加させた。ルドウィークは一人で過ごした。さびしくてマルケータに絵葉書を送った。が、絵葉書を冗談で皮肉な感じで書いた。
その絵葉書は、「学生同盟」に読まれて、ルドウィークは弁明もむなしく、学業継続の権利や兵役猶予の特権をルドウィークは失った。党から除名され、「ブラックリスト」に載せられて、社会共産国の敵とみなさた。そして、「社会主義を建設する」ために、炭坑で働くことになる。運がよければ2年間、何かがあれば炭坑での期間は増える。外出の権利はまったくなく、ただ報償として金銭が払われた。
十年後、ルドウィークは故郷モラヴィアに帰る。故郷に引き付けられるものは何もない。関心をなくしてしまうのも当然だった。好きだった母親も亡くなった。葬式にも行けなかった。だが、無関心という心の中には、かつての人生を狂わせてしまったものへの復讐心があった。ルドウィークは、どうにかして復讐を果たしたかった。その復讐心は、大学のときにルドウィークが党から除名されたとき学部の党委員長だったゼマネークに向かう。ハンサムで目立たがりやの彼は、ルドウィークと同じモラヴィアの出身だった。
ルドウィークは、ジャーナリストをしているゼマーネクの妻・ヘレナに入念に計算して近づいた。ルドウィークはジャーナリストが嫌いだった。ヘレナにはその話し方にさえ嫌悪を覚えた。そして、彼の復讐は始まった。
男女4人の独白を重層的は語りとして書かれた「冗談」は、愛の悲喜劇が書かれている。復讐に利用されるヘレナや、ルドウィークが心から愛した女性・ルティエは、何も知らずに復讐の舞台を作ったルドウィークの友であるコストカと絡む。ルドウィークを親友と思っていたヤロスラフの失望や時代の移り変わりと、心の中の世界とのギャップにクンデラの世界が描かれる。
社会主義という思想の中、「真実とは何か。」という重たいテーマを、ものに見方を変えることによって様々な見方が描き出されている。やり場を失っていく復讐心の悲劇的な結末に、何とも言いがたい気分がもたらされると同時に、ウィットで巧妙な感じの文章が、クンデラと言う作家の実力を物語っているように思われた。
(J)