和田 竜 Wada Ryo
1969年(昭和44年)12月、大阪府生れ。早稲田大学政治経済学部卒。2003(平成15)年、映画脚本『忍ぶの城』で城戸賞を受賞。’07年、同作で小説化した『のほうの城』でデビュー。同作は直木賞候補となり、映画化され、2001年公開。’14年、『村上海賊の娘』で吉川栄治文学新人賞および本屋大賞を受賞。他 の著作に『忍びの国』『子太郎の左腕』がある。
「大阪」の表記は、江戸時代頃から使われ出しているようだ。それ以前は、『難波』、戦国時代には、『大坂』と書いたようだ。
その『大坂』の時代、織田信長が全国統一を果たしていない時代には、各地で海賊が海を支配していた。
その時代の瀬戸内は、村上海賊衆が勢力を持ち、海を通る通行料を取っていたという。
村上海軍は、瀬戸内を3つの勢力の分けて支配していた。
能島に城を置き村上武吉を当主におく能島村上と、その兄弟で来島に拠点を置く村上吉継、因島村上の当主の村上吉光である。来島村上と因島村上は、当時毛利家に属していたが、村上海軍の筆頭でもあった能島村上は、毛利家とは手を結んでいなかった。
織田信長と一向宗本願寺との戦いは、元亀元年(1570年)「石山合戦」から始まっていた。一向宗本願寺の地を織田側に寄越せと命じたからという説がある。織田信長はその処に城を築き西国を押さえようとしたらしい。十一世本願寺派顕如は信長と対立し、僧たちや一向宗門徒を中心に抵抗したが、信長は天王寺に要塞を築城し、大坂本能寺の周囲を固めて、兵糧攻めにした。顕如は、鉄砲傭兵の雑賀党の首領鈴木孫一に助けを求める。孫一は、本能寺を信長に引き渡すように顕如を説得するが聞き入れず、戦いは始まる。
兵糧を獲得するために、顕如は、毛利家や武田家に助けを求め織田家と戦う姿勢を整えようとした。当時毛利家は、織田家や一向宗・顕如と距離をとり様子を見ていた。徐々に勢力を伸ばす織田家に危機感もあった。が、うかつに顕如を助けると織田家に格好のいいわけを与えることになる。それに一向宗本能寺から要求された米は、十万石。毛利家だけでは到底運ぶことはできない。そこで、毛利家は村上海賊・当主能島村上の協力を得るために使いを出す。
能島村上の当主には、子どもが3人いたという。跡継ぎの村上元吉と、弟の景親と、史実には出てこないが景(きょう)と言う娘だ。景は、気性が荒く醜女で当時としてはとうに結婚している年齢の20歳だった。海の上を海賊さながら駆け巡り、乱暴ぶりを発揮していた。毛利家からの兵糧渡しの話を聞いた能島村上武吉は、男でもほれぼれするほどの色白で若く器量よしであった毛利家直属の警護衆の長・児玉成英と景との結婚を条件にする。景は美男子好みだった。
そんな折、景は瀬戸内から大坂本能寺に向かう農民衆の船を助ける。その船には一向宗の信仰をもち、どうにかして本能寺を助けようとする人々が乗っていた。大坂の地に興味津々の景は、彼らと主に大坂へと向かうことになる。そしてそこで、織田家と共に戦う真鍋海賊の当主真鍋七五三兵衛と出会うことになる。
本屋大賞と吉川栄治賞をダブルで受賞した作品である。
とにかく読ませる。全4巻とかなりの分量だが。一基に読んだ。景のハチャメチャ振りも面白いが、史実を基にした脚色は、内容を追う面白さと共に、ファンタスティックな想像を掻き立てる面白さを伴う。到底力の及ばぬその戦いに、それでも力の限り挑む景のムチャぶりは、ハラハラドキドキの連続である。『何だか力をもらったみたい!』そんな感じの作品だった。
(J)